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12月10日 マレー沖海戦!日本海軍 英国のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈! このとき見せた武士道

 

1941年(昭和16年)12月10日、日本海軍航空部隊は、
英国東洋艦隊の不沈艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と
戦艦「レパルス」を撃沈しました。
このとき、日本軍が見せた武士道を紹介します。

大英帝国の戦艦を轟沈!)
太平洋戦争開戦の2日後、1941年(昭和16年)12月10日、日本海軍航空部隊は、マレー沖海戦で英国東洋艦隊を攻撃します。

東洋艦隊には、最新鋭の不沈艦「プリンス・オブ・ウェールズ」がいました。

また巡洋戦艦の「レパルス」がありました。

ベトナムサイゴン基地とツドウム基地を飛び立った九六式陸上攻撃機と一式陸上攻撃機の合計85機の部隊が、英国東洋艦隊を攻撃します。

(世界初!航空機が戦艦を撃沈)
日本軍の航空部隊は、水平爆撃と魚雷による攻撃で大英帝国が誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルスの大型戦艦2隻を、わずか3時間で沈めました。

この戦いは、航行中の戦艦を航空機だけで撃沈した世界初の事例です。
つまり日本海軍が世界で初めて、航空機だけで航行中の戦闘艦を撃沈したのです。
航空機で戦艦を沈めた例は真珠湾攻撃などの例があります。しかし、それらは、停泊中の戦艦に対する攻撃です。
当時、停泊してエンジン機関を停止している状態の戦艦は、主要な武器が使えませんでした。ですから攻撃を受けたらひたすら耐えるだけです。
一方、航行中の戦艦は、武器が使用できるため攻撃に対し迎撃態勢になっています。
ですから大英帝国東洋艦隊も、攻撃には対応できると考えていたようです。
ところがマレー沖海戦では、日本軍が航空機で、プリンス・オブ・ウェールズ、そしてレパルスなどの軍艦を轟沈してしまい、世界中をあっと言わせました。

下の写真は、日本軍航空部隊の攻撃を受ける英海軍のプリンス・オブ・ウエールズ(右上)とレパルス(左下)です。

下の写真は、マレー沖海戦で日本軍機の攻撃を受け回避行動を行うプリンス・オブ・ウェールズ(画面左前方)とレパルス(画面左後方)です。

まずレパルスが沈み、続いてプリンス・オブ・ウエールズも撃沈します。

(マレー沖海戦の大勝利を伝える当時のニュース映像👇】

(日本が見せた武士道)

大英帝国が誇る2隻の軍艦を航空機で沈めたと言う素晴らしい勝利ですが、この戦いで日本軍は武士道を見せます。
マレー沖に、沈んでいく、プリンス・オブ・ウェールズ。この時、艦長のトマス・フィリップスは、乗組員を救助させるので30分欲しいと打電し、日本軍はそれを了承し、乗員避難のための猶予を英国側に与えています。

それにしたがい、大英帝国駆逐艦「エクスプレス」が、海上に脱出した数百人の英国人乗組員たちの救助を始めます。
この間、日本の航空隊は一切、攻撃を加えるなどの救助活動の妨害をしません。
さらに救助活動後に、この駆逐艦シンガポールに帰投するときにも、日本軍機は、
攻撃を差し控えました。

そして、翌日、日本海軍はその海域に慰霊のために2つの花束を投げています。
1 つは戦死した戦友達へ、そしてもう 1 つは敗れた英国軍人に対してでした。

なんと素晴らしい行為でしょうか!!
大英帝国が誇る東洋艦隊の2 艦の戦死者は 840 人、救助された人は 2081 人でした。

 

 

マレー沖海戦での圧倒的勝利と、
ココで見せた数々の武士道!!

是非、語り継ぎたいものです。