日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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沖縄県庁最後の地 轟壕 ~ここで米軍はガソリンや爆薬が入ったドラム缶を投げこむ「馬乗り攻撃」をしました~

沖縄本島南の糸満市伊敷にある轟壕(とどろきごう)。
ここは全長100メートルほどの自然洞窟で、
沖縄県庁最後の地」と言われています。
沖縄県庁最後の地)

轟壕は、沖縄戦が始まる前から地域住民の避難場所として使用されてきました。
そして沖縄戦が始まると数百人の住民が避難し、さらに、日本兵も避難し、最大千人以上の住民や日本兵が避難したと言われています。

1945年(昭和20年)6月5日には、当時の島田叡沖縄県知事以下、県庁職員幹部がここに避難します。6月15日に島田知事は、この壕で「県庁解散」を宣言し、眞文仁の軍司令部壕に向かいます。このことから、轟の壕は別名「沖縄県庁最後の地」と言われている。同じころ、数十人の日本兵も入り込み、軍官民雑居状態となりました。

(ガソリンや爆薬が入ったドラム缶を壕に投げ込む米軍)
6月18日ごろから米軍が、この壕を攻撃します。
この攻撃方法が、ガソリンや爆薬が入っているドラム缶を壕の中に投げ込む「馬乗り攻撃」という実にひどいものです。中にいた人はたまったもんじゃないです。
25日頃、すでに捕虜となっていた人が、ここにきて投降を呼びかけたため、約600人の住民が壕を出て米軍に保護されました。

(轟壕は中に入れる)
轟壕は、那覇空港から車で約30分の距離にありますが、入り口に看板がないので、初めての方は迷いそうです。階段の奥を進むと轟壕があります。

 轟の壕は、全長100mもある巨大な洞窟です。洞窟の中には川も流れています。

 中は、懐中電灯がないと先へ進む事は困難です。壕内なんとなく重苦しい空気が流れています。

 

<<轟壕への行き方>>
車で行きましょう 那覇空港から30フ程度です
住所:沖縄県糸満市伊敷

轟壕では物凄い雰囲気を感じました。
しかし、ここに逃げていた人々に
米軍がガソリンや爆薬が入ったドラム缶を投げ込んで
攻撃したとは!!ひどすぎる!!