5月15日は1972年(昭和47年)に、太平洋戦争に負け、アメリカ軍の占領下になっていた沖縄が日本に返還された日です。
第2次世界大戦終了から27年たったの1972年(昭和47年)5月15日、米国占領下の
沖縄は本土復帰を果たします。この結果「沖縄県」が誕生しました。
おっさんはこの頃のことを子供心に覚えています。
というのは、おっさんの兄が沖縄の人と文通をしていて沖縄のことが身近だったからです。
(沖縄返還で変わった物)
(切手)
おっさんには兄がいますが、この兄が、どういうきっかけかわかりませんが沖縄復帰前に沖縄在住の女性と文通をしていました!
兄は当時、高校生でした。
高校生の兄はたぶん、雑誌の文通希望コーナーか何かで沖縄に住むこの女性と文通をするようになったと思います。(昔はこういう文通希望コーナーがよく雑誌に載っていました)
当時沖縄はアメリカ占領下。
今みたいにメールもなく、また頻繁に電話をかけるにも国際電話なので料金は馬鹿高。そこで連絡手段は文通に限られていました。
で、沖縄の女性からは、毎週のように兄のもとに手紙が送られてきました。
兄に、沖縄からの手紙に張られた切手を見せてもらったことがあります。
その切手は、沖縄の民族芸能の絵柄で「琉球郵便」と言う文字とアメリカの通貨のセントの文字があったのを覚えています。
この琉球切手ですが、沖縄の本土復帰後は使用できなくなり、以後兄への手紙の切手は変わってしまい日本と同じ切手が貼られてくるようになりました。
ちなみにその文通相手と兄の仲がどうなったかはわかりません。。
切手同様、アメリカの統治から日本へとなった沖縄の人々の暮らしにも変化が起きました。
(お金)
米軍下の沖縄では買い物にはドルが使用されていました。
当然、沖縄の日本復帰で円を使用するようになります。
沖縄の人は返還に先立ち、銀行には、これまで使用していた米ドルを日本円に替えようと多くの人が押し掛けたそうです。
(交通ルール)
一方、交通ルールはそのままでした。
沖縄は米軍占領下では、車はアメリカ本土と同じ左側通行で本土復帰後もしばらくは、車は右側通行でした。
しかし1978年(昭和53年)7月30日、午前零時を以て、交通ルールも「右側通行」から日本本土と同じ「左側通行」へと変更になりました。
(返還された年・1972年)
沖縄が返還された年、1972年(昭和47年)はどんな年だったかをみてみます。
1月にはグアム島で日本軍兵士の横井正一さんが発見されます。
2月には日本初の冬季五輪の札幌オリンピックが開催し日の丸飛行隊がジャンプで表彰台を独占します。
5月にはイスラエルのテルアビブの空港で日本赤軍が発砲し多数の犠牲者を出します。
6月には田中角栄通産大臣が日本列島改造論を発表し、7月には田中角栄が首相になります。
8月には西ドイツでミュンヘンオリンピックが開催。
9月には日中国交正常化がなり、10月には、その記念として中国から上野動物園にパンダのカンカン・ランランが贈られ大人気になります。
‥こんな年でした。
(米軍基地問題)
1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還、この時の総理大臣は、佐藤栄作で、日米安全保障条約に従い、アメリカ軍基地が残されたままの返還でした。
沖縄県庁のHPによりますと、沖縄には日本全体のアメリカ軍専用施設の約7割が集中し、沖縄本島の約15%を占めていて、さらに米軍基地の多くが、街の周辺にあるために、米軍の飛行機やヘリコプターの騒音や事故、あるいは、米軍基地から飛行機などの燃料油がもれて川や海を汚すなどの問題が起きています。また米軍兵士が起こす性犯罪や犯罪も大きな問題のひとつとなっています。
【沖縄県HPの基地記載記事】
というわけで5月15日は、沖縄が日本に復帰した日です。