日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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高杉晋作と坂本龍馬・青春交響の塔 (山口県下関市) 

山口県下関市関門海峡を望む海岸には、
「青春交響の塔」と呼ばれる高さ10メートルもある
2本の剣の形をした塔があります。
この塔には、高杉晋作坂本龍馬といった
幕末の2大エースのレリーフがはめ込まれています。

 

高杉晋作の生誕164年の誕生日に完成)
この塔は、2003年(平成15年)8月20日に、高杉晋作の生誕164年の誕生日に合わせ
建てられました。「生誕164年」というのがなんとも中途半端な数字ですね。。、
下の写真は、背景が関門海峡の九州福岡県北九州市門司区側。左の橋は、本州と九州を結ぶ関門橋です。

 

高杉晋作
高杉晋作は、長州藩城下町の萩で武士の子として生まれ、吉田松陰が主宰していた松下村塾門下生です。その優秀さで、久坂玄瑞吉田稔麿入江九一とともに松下村塾四天王と呼ばれました。

尊王攘夷の中心人物であり、馬関戦争時の長州藩代表の1人、奇兵隊創始者の1人、
討幕運動の中心で下関を拠点にして活躍します。

その高杉晋作は、1867年4月14日、結核がもとで、山口県下関市で死亡します。このとき27歳、この年に行われた大政奉還を見ることなく亡くなりました。


「おもしろき こともなき世を おもしろく」という辞世の歌でも知られています。

 

(晋作と龍馬)
この塔の正面にあるレリーフは、写真左が長州藩出身の高杉晋作、右が土佐藩にいた
坂本龍馬です。

両者は、いずれも幕末に新しい政府を作ろうと考えていました。また、交流もありました。

高杉晋作は、1862年5月に長崎を出航し、約2か月間上海に滞在しています。この時にピストルを2丁購入します。そして後日、その1つを坂本龍馬にプレゼントしています。

1866年(慶応2年)1月23日、薩長同盟が締結した翌日に、龍馬は京都の寺田屋で,
伏見奉行所から襲撃されます。このときにピストルを使用し難を逃れます。

また同年6月17日には、高杉晋作海上から小倉を攻めたときには、坂本龍馬は、長崎から回航したユニオン丸で援護支援をします。

坂本龍馬、下関に滞在)
1867年、2月坂本龍馬は、妻のお亮さんとともに下関で2か月程度暮らします。その住居跡地が今もあります。


下関市にある高杉晋作関連の史跡】

奇兵隊設立の地・奇兵隊本陣)

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1863年5月10日、攘夷政策をとる長州藩関門海峡で外国船に対し砲撃を行います。

しかし、逆に報復を受けます。この時、晋作は下関の防衛を任せられます。
そして6月に身分にこだわらない兵隊組織を結成します。奇兵隊です。

奇兵隊の誕生は「武力を持つのは武士のみ」と言う江戸時代には、画期的な出来事でした。

奇兵隊について書いたブログはここ】

この奇兵隊設立には、下関の豪商・白石正一郎の財政支援が大きな力となりました。

当初、白石邸には奇兵隊の本陣が置かれていました。

 

(馬関戦争の舞台・みもすそ川公園)
1864年8月には、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの4か国連合艦隊が下関を

砲撃し、砲台が占拠されます。(馬関戦争)
この時、24歳の晋作は和議交渉の窓口を任され、諸外国と交渉します。

この講和会議で連合国は「彦島の租借」を要求しますが、晋作は拒否し撤回させます。

また高杉晋作は、攘夷は幕府の命令で長州藩はそれに従っただけだから賠償責任先は、幕府にあると主張し、賠償をしていません。

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【馬関戦争について書いたブログはここ】

 

(決起した功山寺

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1864年12月15日には、晋作は、下関市長府にある功山寺で、尊王討幕の決起を行います。

【回天義挙した功山寺について書いたブログはここです】

 

晋作は、1866年の第二次長州征伐の時には海軍総督として「丙寅丸」に乗り指揮を執り幕府軍を破り、討幕の中心人物として活躍していきます。
また、戦闘で亡くなった兵士を弔うため櫻山神社を作ります。


しかし、結核にかかり下関の大庄屋の林算九郎と言う人の邸宅の離れに住み、生活していました。高杉晋作が住んでいた屋敷は「緑堂」と呼ばれていました。

そして1867年4月14日、下関市桜山で肺結核の療養中に死去します。満27歳でした。

 

高杉晋作終焉の地)
高杉晋作の終焉の地は、山口県下関市のJR下関駅西口から10分ほど歩いた住宅地の一角にあります。

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高杉晋作終焉の地について書いたブログはここ:命日に行ってきました】 

 

(晋作が眠る東行庵)
晋作の墓は、東行庵にあります。

東行庵では、晋作の命日には慰霊祭が、また秋には、奇兵隊関係の慰霊祭も行われています。

下関市にある高杉晋作の像)

討幕の英雄・高杉晋作の像は下関市に数か所あります。

 

 

この「青春交響の搭」と言うネーミングが、
また壮大です。

<<青春交響の搭への行き方>>

JR下関駅からバス5分「海響館前」下車、徒歩5分
住所:山口県下関市あるかぽーと1

 

関門海峡に面した山口県下関市には、
高杉晋作坂本龍馬の2人友情を示した搭があります。