日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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日本の鉄道発祥は長崎!!~長崎市にある“我が国鉄道発祥の地碑“~

 

長崎市に「我が国鉄道発祥の地碑」があります。
ん?ん?日本の鉄道発祥と言えば、
1872年(明治5年)に新橋・横浜間で走った鉄道では?なぜ長崎が鉄道発祥の地なのでしょうか??

(我が国鉄道発祥の地)
長崎県長崎市新地町、旧長崎英国領事館の北、長崎みなとメディカルセンター前に建つのが我が国鉄道発祥の地碑。

ここで、長崎の貿易商として有名なトーマス・グラバーが、江戸末期の1865年に、英国から蒸気機関車を商談用に持ち込み、客車に人を乗せて走らせているのです。
(デモンストレーションとして汽車を走らす!)

江戸幕府が開国した後の1859年(安政6年)、トーマス・グラバーは、香港を拠点にする英国のジャージン・マセソン商会の代理人として長崎に着任します。
そしてグラバー商会を設立し、諸藩に艦船、武器、弾薬を売り込んで商売をしていました。

元治2年3月17日(1865年4月12日)、トーマス・グラバーは、大浦海岸に線路を敷設し、蒸気機関車「アイアン・デューク(鉄の侯爵)号」に2両の客車を連結して走らせます。

この機関車と客車は、もともとは、当時の中国を支配していた清政府に売り込み、上海から呉淞間に運行する予定でした。しかし、事情により清朝政府が購入しなかったため、代わりにグラバー商会が購入し、現在の長崎みなとメディカルセンターあたりから大浦海岸までの600メートルに線路を施設し走らせたのです。
このくだりは、さりげなく書いていますが、清という国に売り込む予定の蒸気機関車と客車を買い取り、線路を自分で敷いて汽車を走らせるとは、グラバー商会はなんという金持ちでしょうか!!冷静になって考えたら驚きます。
どうやらトーマス・グラバーは、この機関車を日本に売り込む事を考えていたようで
1ヶ月間、運転しました、しかし、営業運転とはなりませんでした。
この7年後の1872年(明治5年)には東京・新橋~横浜間で、乗客から料金をもらう
鉄道の営業運転が始まりました。

 ・・・ということで、長崎の鉄道は商談目的、営業運転としては新橋~横浜間が日本初の鉄道となります。

<<我が国鉄道発祥の地碑への行き方>>
路面電車メディカルセンター電停から徒歩3分

住所:長崎市新地町6

グラバー邸と大浦天主堂からも行け、
メディカルセンター電停のすぐ近くにある
「我が国鉄道発祥の地」にも立ち寄って
ここで鉄道が走ったんだあと空想してみて下さいね。