4月14 日、陸軍戦闘機・隼に乗る石川清雄曹長は、
1300人が乗る輸送船に対し
敵の魚雷が発射されたことに気がつきます。
なんとか、それを阻もうとしますが間に合わないため、
なんと、魚雷に体当たりして
船団の仲間達の危機を救いました。
(松川丸の護衛)
1944年(昭和19年)4月14日、陸軍飛行第二十六戦隊アンダマン派遣隊一式戦闘機・隼の石川清雄曹長は、隊長機とともにアンダマン諸島ポートプレア港へ向かう陸軍輸送船・松川丸(3,832t)の護衛に当たっていました。
(松川丸に向け魚雷発射)
11時20分頃、入港直前のベンガル湾ポートブレア沖約30キロ付近でのことです。
陸軍一式戦隼を操縦する石川清雄曹長は、船団の前方3,000m付近で敵潜水艦が放った
魚雷航跡を3本発見します。
米潜水艦が松川丸に向けて魚雷を発射したのです。
石川曹長は、このことを基地に報告すると共に敵潜推定位置を爆撃します。
さらに翼を振って船団に警戒を知らせますが、船団は気がつきません。
このままでは、仲間達が乗る船に魚雷が命中してしまいます。
石川機は隊長機に「ワレ攻撃ス」との合図を送り急降下し、魚雷に向けて機銃掃射を続けます。
(松川丸を守るため魚雷に体当たり)
石川機の攻撃にもかかわらず、魚雷は1,200名乗船の輸送船・松川丸に迫ります。
そこで、「もう間に合わない」と判断した石川清雄曹長は、航行中の魚雷に対し、
自分が操縦する隼戦闘機もろとも体当たりを敢行し、松川丸に命中する直前に
魚雷の爆破に成功します。
こうして松川丸に乗船していた陸軍兵 1,300人と乗組員たちの命を救いました。
魚雷に体当たりをして1300人の命を守った日です。