(1943年:昭和18年創建)
この神社は、1943年(昭和18年)3月に、陸軍登戸研究所の殉職者を慰めるために、
東京にあった陸軍科学研究所の神社に祀られていた、知恵の神である八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)を分祀して創建されました。
神社の名前の「弥心(やごころ)」もここから来ているのではないかと推測されます。
(終戦後、廃社となったものの生田神社として復活)
終戦後、この神社は、米軍に接収され、廃社となりましたが、1950年(昭和25年)に明治大学が払い下げを受けた際に、豊受大神と天照大神を祀り、生田神社と名前を改めて、復活しました。
(登戸研究所跡碑)
境内には1988年(昭和63年)に研究所に所属していた有志によって建てられた「登戸研究所跡碑」があります。
その裏面には「すぎし日は この丘にたち めぐり逢う」という句が刻まれています。
この意味、、なんとなくわかるような気がします。
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