1944年(昭和19年)6月16日は
アメリカの爆撃機・B-29による日本本土初空襲が起きた日です。
その説明会が、空襲で爆撃を受けた北九州の地で
ありましたので参加してきました。
※なお、展示物の撮影およびブログなどの掲載に関しては 平和のまちミュージアムより許可を頂いています。
(学芸員によるギャラリートーク)
そのB29日本本土初空襲に関する学芸員にょるギャラリートークが
2023年(令和5年)6月4日(日)14時から、福岡県北九州市小倉にある「平和のまち
ミュージアム」で行われたので参加してきました。
学芸員の1人が、豊富な資料をもとにB29の日本初空襲について解説をしてくれました。
(平和のまちミュージアムとは)
平和のまちミュージアムは、福岡県北九州市小倉北区にある戦争や戦前・戦争中の人々の暮らし・生活を伝え残す市立の資料館です。
2022年(令和4年)4月19日に、日本最大規模の兵器工場だった「小倉陸軍造兵廠」の
跡地に作られました。
(空襲当時の北九州)
当時の北九州には、日本の近代化をけん引した産業の要・八幡製鉄所と大兵器工場の
陸軍の小倉造兵廠という2つの大きな産業の拠点がありました。この2つが米軍の攻撃
目標になりました。
(B29日本本土初空襲に向けて米軍の準備)
超空の要塞B29の日本初空襲に向け、米軍も年密な計画を立てます。
攻撃目標の八幡製鉄所を正確に再現した模型を作り爆撃航路をシュミレーションします。
下は米軍が爆撃の時に持参していた目標の八幡製鉄所周辺の地図です。
隠岐の島から122度の方向に進むと八幡製鉄所に到着します。
(中国大陸よりB29飛来)
爆撃を行ったB29は、アメリカが日本本土爆撃用に作った長距離爆撃機で「スーパーフォートレス:超空の要塞(ちょうくうのようさい)」 とも呼ばれていました。
太平洋戦争末期、B29による日本本土空襲は、サイパン島、テニアン島、グアム島などからの出撃が多いのですが、最初の日本空襲の時は、まだサイパン島は陥落しおらず、中国大陸からの空襲でした。
しかも、日本側に気がつかれないように、地球の裏側をまわりインドにB29を配置し、そこからヒマラヤ山脈を越え中国に入りました。
下の写真は、1944年(昭和19年)6月15日に中国の成都の空港で撮影された、北九州初空襲に向け準備を行うB29です。
(B29日本本土初空襲)
1944年(昭和19年)6月、中国の四川省成都から出撃した68機のB29は、航続距離ギリギリの範囲の九州北部にある日本の工業の中心地・八幡製鉄所などを攻撃目標としました。途中、21機が到着に失敗し、八幡上空に現れたのは47機でした。
【八幡製鉄所について書いたブログはここです】
(迎え撃つ日本軍)
B29を迎え撃つ日本側は、すでにB29の出撃に気付いていて、八幡を含む九州北部地域は 対空砲と防空気球で防備され、付近の基地では戦闘機による迎撃体制をとっていました。
B29が到着したのは6月16日未明、この日は街がモヤに包まれ、さらに灯火管制が敷かれていたため 真っ暗だったそうで、米軍が目視による正確な空襲ができず八幡製鐵所の爆撃による被害は、そう大きくなかったようです。
B29による空襲は、八幡製鉄所以外に当時の小倉市にあった兵器工場「小倉陸軍造兵廠」も攻撃を受けました。
ここでは勤労動員されていた学生など80人の命が奪われました。
【陸軍小倉造兵廠について書いたブログはここです】
(爆撃は一般人にも)
下は、平和のまちミュージアムに掲げられていた1944年(昭和19年)6月16日のB29日本本土初空襲での主な爆弾落下地点です。
八幡製鉄所以外に、一般人が住む住宅地や学校にも爆弾が投下されています。
ちなみに軍事施設以外の民間人への空襲はハーグ陸戦条約違反行為です。
下の写真は、小倉市三萩野に逢った傷痍軍人補導所です。飛び散ったコンクリートで11名が亡くなっています。
下は枝光国民学校。3棟ありましたが1棟は爆弾の直撃を受けました。
小倉市砂津の民家には爆弾が直撃し6名が亡くなったそうです。
B29日本本土初空襲による被害は、資料によりまちまちですが、北九州の5市(門司・小倉・若松・戸畑・八幡)では死者322名、重軽傷者477名などの被害が出ましたが、
実際はこれ以上の被害が出た可能性があるそうです。
(空襲で防空壕に変化が・・)
今回の空襲では、防空壕に逃げ込んだものの亡くなった人がいます。当時の防空壕は穴を掘っただけで上ふたもなく、そこに爆弾が落ちたため、土砂が降り注ぎ生き埋めになり窒息死ということが相次ぎました。
そこで、防空壕にフタをつけ、横穴式へと変わっていきました。
空襲から1か月後の「婦人倶楽部8月号」には、「北九州空襲の教訓」という特集が組まれています。👇
このB29による日本初空空襲で、米軍側では作戦中の事故で5機のB-29が損失、2機が日本軍機により撃墜と報告します。
一方、日本側では撃墜6機(内不確実2機)、撃破7機と報じられました。
B29の北九州空襲の模様は当時の映画ニュースに取り上げられています。
【B29の日本本土初空襲を紹介した当時のニュース映像:第212号】
(B29日本本土初空襲が日米両国に与えた影響)
大本営及び軍部は、被害よりも、心理的な面で、このB29の日本本土空襲に関し衝撃を受けます。
一方でアメリカは、この空襲を大きく報道し戦意高揚に役立てます。
アメリカの新聞・イブニングスターは八幡を日本のピッツバーグに例え表現しています。👇
(その後のB29日本空襲)
この6月16日に行われたB29による日本本土空襲は、のちに南の島々を米軍が占領することでサイパン島、テニアン島、グアム島などが出撃基地になります。
これらの島々にB29の出撃基地が作られることで、B29の航続距離が確保され、日本本土空襲の頻度が増します。
本土空襲当初は軍事施設を攻撃していた日本空襲ですが、やがて軍事施設に加えて非戦闘員の民間人や民家をも攻撃目標に変えたことで日本中の各都市を、焼け野原にし、戦争継続能力を壊滅させました。
ちなみに米軍による日本初空襲は、1942年(昭和17年)4月18日です。
【米軍による日本初空襲について書いたブログはここです】
(学芸員のギャラリートークはお勧め)
今回は、1944年(昭和19年)6月16日のB29日本初空襲で攻撃を受けた80名以上が亡くなった陸軍小倉造兵廠跡地に作られた、北九州市立平和のまちミュージアムで
学芸員が資料を元に解説してくれました。
写真も資料も身近にありわかりやすいものでした。
もし、皆さんがお住まいの地区でこのような説明会が開催されるのなら
是非参加して下さい。
専門家が解説してくれるので非常に有意義です。
<<北九州市平和のまちミュージアムへの行き方>>
JR西小倉駅 徒歩10分
住所:北九州市小倉北区城内4-10
利用時間:9時30分~18時
休刊日:月曜日及び年末年始
貴重な資料を見ながら、
専門家によるギャラリートーク、
凄く良かったです。