日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ 光る君へ 第35話「待ち望まれた日」ネタバレあらすじ 

平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。
36話は「待ち望まれた日」です。それではストーリーを見ていきましょう。

(懐妊)
中宮彰子は、一条天皇に決意の告白をし、それを機に一条天皇藤原彰子が住む藤壺を訪れるようになります。
そして、彰子は妊娠します。寛弘5年(1008年)のことです。
この知らせに道長も倫子も赤染衛門も喜び、同時にホッとします。
宮中は待望の懐妊で色めきだちます。
(変わっていく彰子)
彰子は何やら変わってきたようです。
ある日、彰子はまひろに漢籍を学びたいと相談します。
まひろに、一条天皇が読んだ漢詩「高者未だ必ずしも賢ならず下者、未だ必ずしも愚ならず」の意味を問います。

まひろは、これは白居易の新楽府の一節で、唐の国の白居易が民人の声を代弁して、為政者のあるべき姿を示した漢詩だと答えます。
すると彰子は、亡き皇后も漢詩が得意だったらしいので自分も漢籍を学習し、帝を驚かせたい。そこで内緒で漢籍を教えて欲しいと頼みます。
(思惑)
彰子の懐妊で貴族達も色々と考えます。
斉信は、生まれてくる中宮の子が皇子であったら道長は盤石だと言います。
公任は、めでたいが皇子だったらややこしいことになると言います。
行成は、これまでのならいでは居貞親王のあとは敦康親王東宮になるのが道理であり、道長敦康親王の後見を辞めるはずはないともいいます。

道綱が花山院が隠れたと居貞親王に報告します。居貞親王は、自分の子である敦明親王東宮にならないと冷泉の皇統は途絶えると心配し、彰子が産む子が皇子でないことを祈ります。

妻の娍子も先を越された形になるので表情がさえません。
道綱は生まれてみないとわからないと答えます。
居貞親王は道綱に中宮の様子を逐次知らせるよう命じました。

敦康親王は、彰子が子供が生まれたら自分と遊ばなくなるのではと心配し、幼子の頃から一緒に生きてきたのでこの先もそばに居て欲しいと頼みました。

(土御門へ)
彰子の出産が近づき、まひろは女房達と一緒に彰子の実家・土御門殿へ移りました。
まひろは土御門殿で物語をゆっくり書けるよう専用の部屋を用意されました。
そして倫子からは、まひろが書いた物語によって中宮の心が変わった、中宮を救ってくれたと感謝されます。

まひろは、妊婦の彰子に漢籍を教えます。
「人の心の好悪苦だ常ならず 好めば毛羽を生じ 惡めば瘡を生ず」
人の心は変わりやすく、好きとなれば羽が生え飛ぶほどに大切にするが、嫌いとなれば瑕ばかり探し出します。瑕とは大切な宝だと、人をその人たらしめるものだと述べます。
そこに道長が子供達を連れて挨拶をしました。彰子は、まひろを大切な指南役だと紹介します。
(女房達)
身分が低いまひろのことをよく思わない女房達もいます。
あるとき、左衛門の内侍が赤染衛門に 中宮の側役を奪われたことに不満はないのか、また、左大臣と藤式部の関係はどうなのかとを問いますが、赤染衛門は気に留めません。しかし左大臣が、よく藤式部のところを訪れていると噂になっていました。
(嫉妬)
彰子が懐妊した一方、定子が産んだ媄子内親王が僅か9歳で亡くなりました。
ききょうが、そのお悔やみに伊周のもとを訪れました。
伊周は、秋には中宮に子が生まれる、左大臣のおもいのままになる、帝の心さえも・・・と嘆きます。

ききょうが「毎日亡き皇后さまを思い出しております」と言うと、伊周は藤式部という女房が書いた物語に一条天皇が夢中になり、帝が藤壺を訪れるきっかけになった。それが彰子の懐妊に繋がったと話します。
ききょうが、藤式部がどんな人物なのですかと訪ねると、伊周は、先の越前守の娘だと話します。
ききょうは、動揺を隠しきれないまま「その物語を私も読みとうございます」と口にします。

(出産)
当時は、帝の子の出産時には漢文による公式記録をつけるのが通例でした。
しかし、道長はまひろに、中宮の出産記録を作ってほしいと頼みました。そして、まひろは承諾しました。

いよいよ、藤原彰子が産気付き屋敷が騒がしくなりました。物の怪が現れて彰子の出産を邪魔します。そこで、大勢の僧達が祈祷を行い、物の怪を彰子から引き離そうと祈ります。

藤原伊周が、彰子の名が書かれた人形(ひとがた)を、小刀で何度も刺して呪詛をします。これが物の怪を呼び起こしています。
この伊周は、道長の御嶽詣では藤原道長を暗殺し手射て、ホントに復讐心が強いです。


彰子の無事出産を祈る土御門では、女房達にお清めに米をまきます。
この様子をまひろは「頭には、邪気払いの米が雪のように降りかかり、しぼんでしまった衣姿がどんなに見苦しかったことか、あとになるとおかしくてならない」とつぶやきます。

彰子の出産は、スムーズには進まず巫女達の悲鳴が飛び交い暴れまわるなどの修羅場になりました。
藤原道長は物の怪を宿した巫女に、「どうか、お鎮まりくださいませ!」と頭を下げます。物の怪は、恨みがこもった声で藤原道長に、「道長―!」と叫びます。

その直後、産声が響き、男児=皇子の誕生を告げられます。
こうして誕生した男児は「敦成親王」(あつひらしんのう)となります。
皇子誕生に皆は大喜びです。

(望月)
彰子が無事出産しました。
「めずらしき 光さしそう 盃は もちながらこそ 千代もめぐらめ」
まひろが歌を読み上げていると、そこに道長がやってきました。
まひろの歌は、「中宮という月の光に皇子という新しい光が加わった盃は今宵の望月のすばらしさそのままに千代もめぐり続けるだろう」という意味です。
道長はこの歌を記憶にとどめました。
そして、後日、望月の句は、あの有名な句を生み出します。

彰子が皇子を産んだ事に対し、道長のもう1人の妻の明子は必ず自分の娘の寛子も入内させる、土御門に負けていられないと対抗意欲を満々です。
(五十日の儀)
「敦成親王」の、誕生から50日目に行われる五十日の儀(いかのぎ)が盛大に行われました。
道長はこの席を無礼講にしました。
祝いの宴に集まった公達らは、無礼講で楽しく酔います。

このとき、静かに控えていたまひろのもとに、酔った藤原公任が現れ、「このあたりに、若紫(わかむらさき:源氏物語の登場人物)はおいでかな。若紫のように美しい姫はおらぬなぁ」と笑ってからかいます。
そこで、まひろは「ここには光る君のような殿がおられませぬ。ゆえに若紫もおりませぬ」と切り返します。公任相手にお見事です。

この席で藤原道長は、まひろをよび、歌を詠めと命じました。
そこでまひろは以下の歌を詠みます。
「いかにいかが 数えやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば」

この、まひろの歌に藤原道長も返歌をします。
「あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も 数え取りてむ」
・・・この2人のアドリブながら見事な阿吽の呼吸が、一緒にいた人々の目に映り、なにやら2人はあやしい・・という雰囲気が漂います。
源倫子は眉をわずかに動かしこの場を去ります。赤染衛門は、まひろに道長との仲をたづねます
さあ、まひろと道長の関係がバレちゃうのか・・・次回に続きます。