日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ 光る君へ 第32話「誰がために書く」ネタバレあらすじ 

平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。
数十年と大河ドラマを見ている立場から言うと、この「光る君へ」は、合戦や戦闘シーンが少ない「変化球」であり、平安時代の宮中を舞台にした恋愛ドラマです。

それでは、あらすじを見て行きましょう。

(伊周を復帰させよ)
1005年(寛弘2年)3月、一条天皇と定子の間に生まれた脩子(ながこ)内親王が、成人となったことを示す儀式である裳着が行われました。

なお、一条天皇と定子の子は、もう一人敦康親王がいます。彼は脩子内親王の弟で、道長の娘・彰子に引き取られて育てられていました。
そこで、一条天皇は、公卿に復帰していない藤原伊周を公卿である大納言の上座に座らせるようにと命じます。一条天皇は、道長を牽制しようという目的でした。

数日後、道長は土御門殿で漢詩の会を開き、公任、斉信、行成、さらに伊周、隆家兄弟も招きます。

会では、伊周は、道長に丁寧に挨拶をします。そして、見事な漢詩を披露します。
会がおわった後、公任は斉信と行成に、伊周の態度は本心とは裏腹だろうと語ります。
そして、道長を「敵を広い心で受け止める器の大きさだ」と称賛します。
一条天皇道長を内裏の清涼殿に呼ぶと、伊周を陣定に参加させるようにと命じます。

そして、道長はまひろが書いて、一条天皇へ差し上げた物語につい「お上。過日、差し上げた物語は、いかがでございましたか」と切り出します。

帝は「ああ、忘れておった」とそっけない返答です。

(書きたいものを書こう)
道長はまひろを訪ね、献上した物語は一条天皇の好みに合わなかったと伝えます。それを聞いたまひろは、落胆するどころか「書きたいものを書こうと、今は思っています。その心をかきたてて下さった道長様に、心から感謝しております」と答えます。

かつて道長が、源倫子を嫡妻とするとまひろへ告げたとき、「私は私らしく、自分が生まれてきた意味を探してまいります」と言っていたことを道長は思い出します。

その後も、まひろは思うままに書き続けていました。
(帝が興味を・・)
道長がある日、娘の彰子を訪ねると、突然一条天皇が姿を現しました。そこで道長は挨拶をして立去ろうとしますが、帝に呼び止められました。

一条天皇は、まひろが書いた小説のなかの「帝が更衣とのはかない恋のために政をおろそかにし、内裏で陰口を言われる」という部分について、「あれは、朕への当てつけか?誰が書いたものなのか」と道長へ聞いてきました。どうやら一条天皇は、まひろが書いた物語に強く興味を持ったようです。

帝は書いたのは誰かと道長に問い、道長藤原為時の娘だと答えました。
帝は、物語の中に唐の故事や仏の教えがさりげなく取り入れられていることから、物語を書いた作者の博学ぶりに感心しました。
そして、まひろ本人に会いたいと道長に言います。

藤壺に来ないか)
そこで道長は、まひろに道長の娘・彰子が暮らす藤壺へあがり、女房として働きながら執筆することを提案します。
そうすることで、一条天皇が物語の続きを読むために、藤壺へ来ることが増え、それが帝と彰子との仲を深めるきっかけになると考えたからです。まひろは「自分はおとりなのか?」と聞くと、道長は正直に「そうだ」と回答します。

まひろは、道長の提案に対し、どうすれば良いかと、父の為時に相談します。まひろが藤壺で女房として働くということは、一家の家計に大きく貢献します。

相談を受けた為時は、藤壺に上がるのは名誉なことであり、まひろが女房になることを認めます。
となると、まひろの幼い娘・賢子のことをどうするかです。
道長からは、賢子も連れてきて良いと言われていましたが、賢子自身は拒否します。
また、まひろも、内裏が幼い賢子が暮らす場所としては、ふさわしいとは思えませんでした。
そこで、まひろは、賢子を為時に預けて藤壺に上がることにしました。
安倍晴明死す)
1005年(寛弘2年)9月26日、道長のもとに安部晴明が危篤だと知らせが入ります。
知らせを聞き、道長が駆けつけると、床に伏した晴明は、自分は今夜死ぬと予言します。
そして、道長に、「ようやく光を手にいれられましたな。これで中宮様も盤石でございます。いずれあなた様の家からは、帝も皇后も関白もでられましょう。ただし、光が強ければ闇も深くなります。」と言います。そしてこの日の晩、晴明は世を去ります。

同じ年の11月13日、一条天皇は伊周を再び陣定に召し出す宣言をしました。これで伊周は陣定に参加できるようになりました。

その2日後の11月15日、女房として出仕することが決まったまひろは、事前に挨拶のために藤壺に訪れます。そして、彰子に挨拶をします。
まひろは、赤染衛門に内裏を案内してもらい彰子の様子をみます。まひろは、彰子が表情が乏しい様子に戸惑います。幼いころから仕えている赤染衛門ですら、その人柄がつかめないと言うのです。
(たたり・・・)
まひろが藤壺に訪れた晩、皆既月食が起きました。当時の人びとは月食を「何か良からぬことが起こる兆し」だと考え闇を恐れて内裏は静まり返っていました。
そして、月食が終わるころ、内裏から火の手があがります。人々が逃げ惑う中、彰子は一条天皇の事を考え、その場にいました。と、そのとき、一条天皇が彰子のもとに駆けつけました。一条天皇は、自分のことを案じて逃げずにいた彰子の思いを知り、彰子の手を取り走り出します。そして彰子が途中で転ぶと、抱きかかえ炎の中から脱出します。

この火事で、天皇が受け継いできた三種の神器の一つ「八咫鏡」が焼失してしまいます。
翌日、東宮を訪れた道長東宮・居貞親王は、「伊周などを陣定に戻したりするゆえ。天が帝に玉座を降りろと言うておる。これを祟りだ」と訴えます。
一方、伊周は、一条天皇に、内裏の誰かが自分の陣定への復帰に不満を持ち放火したのだろうと告げます。

「火をつけるなぞ、お上のお命を危なくするのみ。そういう者をお信じになってはなりませぬ。お上にとって、信ずるに足る者は、私だけにございます」と訴えます。
(出仕)
1005年(寛弘2年)12月29日の朝、まひろが出仕しました。
為時の屋敷では、全員がそろいまひろを見送りました。

為時は「帝にお認めいただき、中宮様にお仕えするお前は、我が家の誇りである。素晴らしい物語を書き、帝と中宮様のお役に立てるよう祈っておる」と言います。それを聞いた、まひろは「精一杯務めてまいります」と答えます。
為時は「お前がおなごであってよかった」とも言いました。
幼い時から為時に「男子であれば」と言われて育ったまひろは、父の言葉に感激します。

(内裏)
雪が降る中で、まひろは出仕しました。 内裏では彰子の女房たちがズラっと居並んで、まひろを迎え入れます。
しかし、その視線は、まるで まひろを値踏みするような冷たい視線です。
まひろが 「先の越前守、藤原朝臣為時の娘、まひろにございます」 と言い皆々に深々と頭を下げて挨拶をしますが、藤壺には、冷めた空気が流れます。
そして、鐘の音だけが鳴り響くのでした。

そして・・・さあ、これからどう展開するのでしょうか。次回に続きます。