大分県北部の都市・中津市中津城趾の公園地内にある
神社・中津大神宮。
ここには日露戦争の砲弾が奉納されています。
(日露紀念の砲弾)
こちらが神社に奉納されている日露戦争の砲弾です。礎石には「日露紀念」との文字が彫られています。
身長175センチのおっさんが横に立つと・・・
(どうして神社に砲弾??)
各地の寺院や神社に行くと、砲弾が奉納されているのを見ることがあります。
これは1895年(明治28年)に終了した日清戦争の後、陸軍戦利品整理委員会が戦争記念品として自治体に分配し、そこから寺院や神社、学校、役場などに分けられたことから始まったものです。
特に当時の5大強国の1つであった大国・ロシアとの戦いである日露戦争は、世界中の多くの国が「日本敗北」と予測する中で、日本が勝利した苦しい戦いでした。
日露戦争後の1906年(明治39年)に陸軍が「戦利兵器奉納ノ記」という文書とともに23170箇所の神社などに砲弾を配付しています。さらに海軍も砲弾を寄贈しています。
ここにある砲弾はその1つだと推測されます。
この砲台の礎石には名前が彫ってありました。この地区から出征した人でしょうか?
(豊前の国のお伊勢様)
中津大神宮は中津城趾の隣にあり、「豊前の国のお伊勢様」と呼ばれているそうです。
1881年(明治14年)に伊勢神宮の天照大御神、豊受大御神等を分霊して建立されました。
御本殿は伊勢の神宮と同じ神明造りで、奉拝殿は、妻入り縦長型の大型拝殿です。
(西南役中津隊之碑)
境内には西南役中津隊之碑がありました。中津隊は、政府軍ではなく薩摩軍=西郷軍です。
西南戦争では、西郷隆盛がいる薩摩の人だけでなく、明治政府に不満を抱く九州各地の士族たちも起ち上がり、合流しました。その1つが中津隊です。
西南戦争の最中の1877年(明治10年)3月31日、豊前中津で薩摩軍=西郷軍に呼応した士族たちが反乱を起こしました。そして中津隊・隊長の増田宋太郎率いる64人は薩摩軍に合流し、ともに戦うことになります。隊長の増田栄太郎は薩摩の地で死亡します。
(独立自尊碑)
また、駐車場には中津が産んだ福沢諭吉の「独立自尊碑」があります。
この碑は、福澤諭吉の偉業を称え、1904年(明治37年)7月8日、福澤家の意思で中津城公園の中央部分に建立されていました。
1932年(昭和7年)10月18日に、現在の位置に移設されました。
【中津大神宮公式HP】
<<中津大神宮への行き方>>
中津駅から徒歩20分程度
車で行きましょう 広い駐車場があります
住所:大分県中津市二ノ丁1273-1
日露戦争の砲弾がある大分県中津市の中津大神宮。
砲弾が奉納されて100年以上が経過しています。
色々な人が様々な思いで、
この砲弾を見たり触ってきたと思うと感慨深いです。