日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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「敵兵を救助せよ!」「あなたたちはゲストです」海の上のサムライ・駆逐艦・雷の工藤俊作艦長が見せた武士道

太平洋戦争中、
戦闘海域でありながら海上に漂う敵国の兵士を救助し
手厚くもてなした艦長がいます。
日本海軍の駆逐艦・雷(いかずち)の艦長・
工藤俊作少佐です。

駆逐艦「雷」の艦長)
工藤俊介少佐は、1940年(昭和15年)11月1日に駆逐艦「雷」の艦長に着任しました。

(スラバヤ沖海戦で見せた武士道)
1942(昭和17)年2月27日、ジャワ島北方のスラバヤ沖で日本海軍と英米蘭の連合部隊の海戦が始まります。この戦いで連合部隊側は艦船15隻中11隻を失います。

下の写真は日本軍の攻撃を受けるイギリスの巡洋艦エクセターです。

スラバヤ沖では、撃沈された英海軍の巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員4百数十名が漂流を続けます。

翌2日、そこに偶然、駆逐艦「雷」が通りかかります。

(敵兵を救助せよ)
「漂流者発見」の報を受け、工藤艦長は敵潜水艦が近くにいない事を確認した後、「海上ニ浮遊スル敵兵ヲ救助スベシ」という命令を出し、一番砲だけ残し、船内総力を挙げての救助に当たるよう指示します。
「雷」は即座に「救助活動中」の国際信号旗を掲げ、乗組員は、縄ばしごやロープ、救命浮標などで、救助にあたります。

一方、漂流する英国兵たちは長時間にわたる漂流で疲れ果て、疲労困憊の様子でした。
漂流者たちに対し「雷」の甲板上にいた乗組員たちは、彼らに声援を送ります。
またある者は海中に飛び込み、立ち泳ぎをしながら、重傷した英兵の身体にロープを巻き付けて救助しました。

こうして「雷」の甲板は、救助された英兵たちで埋め尽くされます。
彼らは撃沈された時には、軍艦から流出した重油まみれでしたが、救出してくれた「雷」の日本兵によってアルコールで丁寧に拭き取られ、新品のシャツと半ズボン、
靴が支給されました。
そして落ち着くと、全員に熱いミルクやビール、ビスケットが配られました。

救助された中には「エクセター」「エンカウンター」の艦長、及び副艦長の姿もありました。

(あなたたちは帝国海軍のゲストです)
救助された英国兵たちの前に、救助を命令した「雷」の工藤艦長が艦橋から降りてきて、挙手の敬礼をします。

そして流暢な英語で「You have fought bravely(貴官らは勇敢に戦われた).
Now, you are the guests of the Imperial Japanese Navy! (いま、貴官らは日本帝国海軍のゲストである!)」と語ります。なんともしゃれていますね!

(乗組員の3倍を救出し、もてなす)

工藤艦長は、その後も遥か遠方に漂流するたった1人の漂流者を発見しては、見捨てることなく救助します。
そして救助した彼らに自分たちの貴重な飲み水や食料、衣類を与えて手厚くもてなしました。

水没したり、甲板上で死亡した者を除いて、午前中だけで404人、午後は18人を救助しました。
こうして乗組員約150名の3倍近い人数を乗艦させた上に、敵兵である彼らをゲストとして厚くもてなしました。

戦争中の海域で艦を停止させて救助活動にあたることは、いつ敵潜水艦に狙われるかもしれない危険性をはらんでいます。
また貴重な燃料を使って湯を沸かし、大勢の敵兵の身体を洗浄したり、自身の食料や衣服を分け与える事は他国の軍隊ではありえないことです。
さらに乗員の3倍近い敵兵を乗せたわけですが、もし彼らが団結して反乱が起きたら大変危険です。

(感謝の敬礼)

翌日、救助された英兵たちは、インドネシア島バンジェルマシンに停泊中の船オプテンノールに引き渡されました。

 

別れの時英兵達は「雷」のマストに掲揚されている旭日旗に敬礼をし、続いてウィングに立つ工藤にも感謝の敬礼をしました。

工藤艦長の武士道は本にもなっていますよ!👇

 

 

 

(その後)

工藤俊作少佐はやがて中佐に昇進し指揮する艦も変りました。しかし、病気がちとなり内地勤務となりました。
一方駆逐艦「雷」は1944年(昭和19年)4月13日に米潜水艦ハーダーのの魚雷攻撃を受けて、 サイパン島近海で撃沈されました。

 

敵兵を救助し手厚く歓迎した工藤俊作艦長
工藤は、世界に誇れるこの武士道を他人に
話すことはなく

1979年(昭和54年)1月、78歳で亡くなります。