日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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駅伝発祥の地(京都市東区)

京都を訪れるとよく鴨川沿いを歩きます。
その鴨川沿いの京阪電鉄京阪三条駅、三条大橋には
「駅伝発祥の碑」が建っていて
「駅伝の歴史ここに始まる」と刻まれています。


(東京都五十周年記念のイベントとして誕生)

数人が長距離をリレー形式で走り、そのタイムを競う陸上競技の駅伝・・。
その駅伝は日本生まれで、1917年(大正6年)4月27日、京都三条大橋からスタートしました。

これは、読売新聞社の主催で、正式名称は「東京都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競争」です。
読売新聞は、当時、ライバルの朝日新聞毎日新聞(当時は『東京日日新聞』)に、発効部数で負けていたため、自社の宣伝PRを目的に、当時の読売新聞社会部長だった土岐善磨が思いついたといわれています。

(「駅伝」の名前の由来)
「駅伝」という名称は、当時の神宮皇学館(現・皇學館大学)の館長・武田千代三郎が名付けました。

奈良時代に馬を使って都と地方の政治や経済をつなぐために整備された「駅制」、約16キロごとに設けられた駅家(えきか)で、役人が乗り継ぐ馬を示す「駅馬(えきば)」と「伝馬(てんま)」すなわち「駅制と伝馬制」から命名されたそうです。

(508キロを3日間昼夜休まず走る)
駅伝のルートは、1868年(明治元年)に明治天皇が京都を出発して江戸城に入ったルートをたどろうと、京都を出発し東海道を通り、東京・上野の不忍池まで走ることになりました。

その駅伝のコースは京都・三条大橋から東京・上野の不忍池博覧会正面玄関までの508kmの23区間です。その内訳は以下の通りです。

京都・三条大橋草津 ~ 水口 ~ 北土山 ~ 亀山 ~ 四日市 ~ 長島 ~ 名古屋 ~ 知立 ~ 藤川 ~ 豊橋 ~ 新居 ~ 見附 ~ 掛川 ~ 藤枝 ~ 静岡 ~ 興津 ~ 吉原 ~ 三島 ~ 箱根 ~ 国府津 ~ 藤沢 ~ 川崎 ~ 東京・上野不忍池

この23区間を走者がタスキをつなぎ、昼も夜も通しで1日中走り続けるというハードなものでした。

(2チームが出場)

この日本最初の駅伝に出場したのは、関東と関西の二チームでした。
スタート地点の京都三条には、石碑があります。


こうして京都三条からスタートした駅伝ですが、道中、天竜川や木曽川といった大きな川には、まだ橋がなかったので、選手達は渡船で川を渡りました。また、夜間は、コースには街灯がなかったため、走る選手の周囲を、伴走者が、カンテラや懐中電灯などを持って道を照らしていたそうです。

3日間かけて京都・東京間を走り抜いた駅伝は、午前11時34分に関東チームの最終ランナー金栗四三(当時27才)がゴールし、関東チームが優勝します。

ゴールとなった上野不忍池には、スタートと同じ石碑があります。


金栗は、
後に1912年(明治45年)のストックホルム五輪のマラソン競技に日本人選手として初めて出場した選手です。金栗は、この東海道駅伝の3年後の1920年(大正9年)に、箱根駅伝を開催します。

【駅伝発祥の地への行き方】

京阪電鉄京阪三条駅すぐ
住所:東山区三条通川端角(三条大橋東詰北側)

日本が生んだ競技・駅伝は、
海外では「EKIDEN」として知られています。