日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ 光る君へ 第38話「まぶしき闇」ネタバレあらすじ 

平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。
38話は「まぶしき闇」です。それではストーリーを見ていきましょう。

清少納言の思い)
清少納言こと、ききょうが、まひろに会いに来ました。
ききょうは、まひろが書いた「光る君の物語」を読んだと言い、その感想を述べていきます。
まひろは「手厳しいききょう様にお褒めいただいて嬉しいです」とこたえます。

ききょうは、現在は亡き中宮・定子の身内を支えるために生きていて、定子の娘の脩子内親王の世話をしていると話します。
そして、まひろに、なぜ源氏物語を書いたのか問います。
まひろは、道長に頼まれたと答えます。
ききょうは、自身が書いた「枕草子」に込められた定子への想いを語ります。そして、「私は腹を立てておりますのよ、まひろ様に。『源氏の物語』を恨んでおりますの」と言い、まひろが書いて今、宮中で人気の「光る君の物語」が一条天皇の関心を定子様から奪ったと文句・不平を述べました。
元服したくない)
寛弘6年(1009年)
敦成親王をあやす敦康親王の姿を見守る中宮・彰子のもとに行成がやってきました。
行成は11歳の敦康親王元服について相談をします。
敦康親王元服をすれば藤壺を出ることになるからと嫌がります。
それを見た彰子は、「いつか元服しないといけない」、「元服姿が見たい」と言いますが、敦康親王はそれでも嫌だと拒否します。
(呪詛)
中宮で、彰子と、生まれたばかりの敦成親王に対する呪詛の跡が見つかりました。
そして、呪詛に関係する人物として円能という僧が浮かび上がってきました。
円能はとらえられ、尋問によって、呪詛は伊周の縁者が依頼したと証言します。
呪詛の黒幕として藤原伊周が浮かび上がりました。敦康親王の伯父であり、定子の兄でもある人物です。

本来なら呪詛の首謀者は、死罪だが、道長は厳しい罰でこれ以上恨みをかうのを避けるため、道長は伊周を参内停止とします。
(彰子の思い)
一条天皇中宮・彰子は一緒に床についていました。
一条天皇は、敦康がいるために、敦成親王が狙われていると思うか彰子に問います。

彰子は、「私の敦康様への思いは変わりませぬ。私にとって敦康様は闇を照らす光でございました。その思いは敦成が生まれましょうとも変わることはございませぬ。」と話します。
(優しい上司)
まひろは月を見上げながら、ききょうの言葉を思い出していました。
とそのとき、女房の先輩である宮の宣旨が「藤式部はいつも月を見上げている」と語りかけてきました。
「何を思っているのか」と問われ、その時々によると答えたまひろは、「今日は皆がどういう気持ちで宮仕えをしているのか考えていました」と続けます。

すると宮の宣旨は、「そなたは何のためにここにおるのか?生きるためであろう」と語ります。さらに物語を書くだけならば里でも書ける。ここで書くのは暮らしのためでは?とも言います。
また「子どももいるのだろう?うまくいっておらぬのか?」といい、まひろは「なぜおわかりになるのか?」と驚きます。

宮の宣旨は、それなりに世の中のことを学んできたと説明します。

まひろが「子を思う気持ちは届かぬようだ」と語ると、宮の宣旨は「夫婦であっても、親子であっても、まことにわかりあえることはできないのではないか」といい、今日もよく働いたといい、早く休もうと言い合います。なんとまあ職場の優しい上司ですね。(呪詛返し)
縁者が呪詛に関与しているとされた伊周は宮廷への出仕停止を命じられました。
心配した弟の隆家が、伊周のもとにやって来ると、伊周は床に伏いつくばるような姿勢で、呪いの札である厭符(えんぷ)を小刀で突き刺していました。
驚いた藤原隆家が「何をしているのだ!」と叫ぶと伊周は「道長」と書かれた厭符に噛り付きます。
伊周は呪詛を重ね続けた結果、呪詛返しで、本人が呪詛に飲み込まれてしまったのかもしれません。

(敦成を天皇に・・)
頼通が道長に呼ばれました。道長は、頼通に、我らが成すことは、敦成を次の東宮にして、一刻も早く即位することだと言います。
そして、家の繁栄のためではなく民のために良き政を行うことであり、これを胸に刻んで動けと述べました。

(除目)
3月4日に臨時の除目が行われました。実資は大納言に、公任と斉信は権大納言に、行成は権中納言となりました。道長の思い通りの人事です。
道長の嫡男・頼通もこの時僅か19歳にして、権中納言となりました。

頼通が実資に声を掛けると、権中納言となって実資を尊敬している、諸事ご指南くださいと述べます。
実資は、駒牽(こまひき)の上卿(じょうけい)の次第、射礼(じゃらい)の上卿の次第かと言い出しみきなり指南をします。

「一からやるとなると大変だ、今からやるか」と言うと頼通は「おいおいお願いいたします」と答えます。

これを聞いた実資は、「指南とはおいおいするものではない! 精進されよ」と一喝します。

ここで用語の解説です。
【駒牽(こまひき)】
平安時代に、天皇が群臣とともに武徳電で馬をご覧になり、貴族は馬を引く儀式。
【射礼(じゃらい)】
宮中において毎年正月17日に行われていた官人などが弓を射る儀式。

(為時の昇進)
除目では、まひろの父・為時も昇進し8年ぶりに左少弁の官職を得ます。
その為時のもとに孫の賢子がやって来て「道長と母はどういった知り合いなのか」と尋ねます。為時は、母の才能を認めた恩人だと答えました。

(頼通の結婚相手)
道長の嫡男・頼通は、結婚相手を探す時期をむかえていました。
道長は、頼通の婿入り先として、具平親王の姫・隆姫女王はどうかと倫子に相談します。
倫子は頼通の気持ちを聞いてほしいと返します。
すると道長は「あいつの気持ちはよい。妻は本人の気持ちで決めるものではない」と断言します。
倫子は「殿もそういう気持ちで婿入りしたのか?」と聞き返すと道長は「そうだ」と認めます。
さらに道長は「男の行く末は妻で決まるのだ。やる気のなかった末っ子が今日あるのはそなたのおかげだ。隆姫女王も倫子のようであることを祈る」と続けます。
それを聞いて倫子は微かに笑います。

(あかね)
物語の構想をねっているまひろのところに道長がやって来ました。
まひろの娘は賢子は11歳、敦康親王と同じ歳、まもなく裳着だと言います。
道長は、裳着が終わったら娘を呼んだらどうか、藤壺の人気になりそうだと話します。
まひろは、藤壺の人物者になりそうな人物がいるとあかねのことを話します。

あかねは、宮の宣旨が「今日から和泉式部と呼ぼう」と命じられますが、別れた夫の官職は嫌だと乗り気ではありません。
そして、あかねは、敦道親王との思い出を綴ってみたとまひろに披露します。敦道親王との思い出を綴った書・それは『和泉式部日記』ですね。

あかねは「書くことで己の悲しみを救う――そんなまひろの言葉がなければ自分は死んでいたかもしれない。書いているうちにまだ生きていたいと思った。書くことで命が再び息づいた」と語ります。

(息子を頼む・・)
頼通が俊賢と明子の館にやってきました。俊賢と明子の兄妹としては、頼通が、異母弟である頼宗を引き立ててほしいという思いがあります。頼通は各地で評判が良いと持ち上げます。
明子は、「これからは頼通様の世、道長様が道綱様を大事にしているように、頼宗の引き立てを」と頼みます。頼通はそのような力はないと答えました。

(早く元服させねば)
中宮彰子は敦康親王と親しくしています。そんな2人の様子を道長が敦成を抱きながら見つめています。
そして中宮彰子と敦康親王の様子を見て、道長は行成に、敦康親王元服の日取りを陰陽寮に決めさせるように命じました。

6月、頼通と隆姫女王の結婚が決まり、続いて中宮・彰子の懐妊が明らかになりました。
二度目の出産を控え、彰子は土御門殿に下がりました。土御門では彰子の母の倫子と赤染衛門が彰子を出迎えました。

道長敦康親王元服の日取りを告げますが、一条天皇中宮が子を産むまで敦康の元服を延期せよと命じます。
道長元服後の敦康親王の御在所について任せるように言上しました。
(伊周乱心)
藤壺にぼやがあり、一時的に敦康親王は伊周の屋敷に移りました。
敦康親王は、道長が自分を遠ざけていると感じていました。
伊周は道長に面会し、敦康を帝から遠ざけることは止めてほしいと嘆願します。
道長は、伊周に参内を許されたのにかかわらず、なぜ内裏に来なかったのか問い詰められます。

すると伊周は突然「お前のせいだ!」と声を荒げます。
道長は「今後、政に関わることはない下れ」と命じますが、伊周は狂乱し呪詛の言葉をはき、札をばらまいて暴れます。

取り押さえられ、連れ出される伊周。そのおぞましい様子をまひろも目に焼き付けてしまうのでした。

見つめ合うまひろと道長。ここでおしまいです。次回に続く・・・