おっさんには、子供の頃のある記憶が今も残っています。
大みそかに、家族で紅白歌合戦を見ていた時に、白組の春日八郎さんが、「さよなら宗谷」という歌を歌っていました。
その年は南極観測船で有名な「宗谷」が役目を終え退役した年で、その活動に感謝を込めて歌ったものです。
歌われた時期は、1978年(昭和53年)。
当時の流行歌が、恋愛とか色濃沙汰が多かった中で、小学生だったおっさんは、「えっ!! 船の歌??」と驚き、また山口百恵やピンクレディーなどのアイドル全盛期に、ベテラン歌手の春日八郎さんが歌うということで強烈な印象を受けました。
「宗谷」の歌を聞いてからおよそ40年、その「宗谷」が今も現存し姿をとどめている、しかも無料で見学できるということで、見に行きました。
【元乗組員の体験談が生で聞ける!!】
おっさんが見学した時には、実際に「宗谷」に乗船していた方が2名、案内員として船内におられたので話を伺いました。
南極大陸に行くときは、船はいつも揺れていて60度傾くことも珍しくなかったそうで、すぐに船酔いするおっさんには無理です。
1か月にわたるコースでは熱い赤道付近から寒い南極まで極端な気温の差があったそうで、これも体調を崩しそうです。
おっさんなら何か月も、ずっと同じ船の中にいたら退屈するでしょうし、食事も飽きてしまう嫌になるかもしれません。そこで元乗組員に長い船での生活をどう過ごしたのか質問しました。
すると、料理長のおかげで毎日違う料理が出て飽なかったこと、乗組員が各自で映画のVTRを持ち寄ってそれを鑑賞したり、無線を利用した新聞や短波ラジオなどで情報を得ていたこと、研究などやることが多くて退屈しなかったことなどを聞きました。南極大陸ではオーロラがよく見れて綺麗だったそうです。
船内には、南極の氷も保存されています。大昔のものだそうです。
【様々な経歴を持つ「宗谷」】
「宗谷」は調べてみるとその経歴が多様です。
当初は1938年(昭和13年)、ソ連向けの商船として作られました。しかし、ソ連には渡されず、帝国海軍の特務艦になり物資の輸送業務を行い、ミッドウェイ海戦やガダルカナルの戦いにも参加しています。
終戦後は、外地にいる日本人を連れて帰ってくる引き上げ船として働き、その後、海上保安庁の灯台の補給船になります。
1956年(昭和31年)からは日本初の南極観測船になり6次にわたり南極へと向かいます。南極観測船としての役目を終了したあとは漁業監視を目的とした巡視船になり、海上保安庁の教育船になります。
そして1978年(昭和53年)、その歴史に幕を閉じました。
戦場・南極、、、、様々な修羅場を乗り越え、その役目を終え、ひっそりと停泊する「宗谷」。
建造から80年近くたった今でも船内を立ち歩くことができます。
入場無料なので、皆さんも行ってみてはいかがでしょうか?
<<「宗谷」への行き方>>
JR新橋駅から新交通「ゆりかもめ」に乗り「東京国際クルーズターミナル駅」下車徒歩5分程度
・住所:品川区東八潮3番1号
●「宗谷」がある、船の科学館の公式HP
https://funenokagakukan.or.jp/#top-access-point
●船の科学館公式HPの「宗谷」部分
https://funenokagakukan.or.jp/soya/history/the1th_nankyokukannsoku