日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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3月2日 「あなたたちはゲストです」駆逐艦・雷の工藤俊作艦長が、敵兵を救助せよと見せた武士道

太平洋戦争中の3月2日、
日本海軍は、戦闘海域でありながら
沈没し海上に漂う敵国の兵士たちを救助します。
さらに「あなたたちはゲストです」と
手厚くもてなします。これぞ武士道です。

(スラバヤ沖海戦)

開戦の翌年、1942(昭和17)年2月27日、ジャワ島北方のスラバヤ沖海戦が始まります。この海戦は日本海軍と英米蘭の連合部隊の戦いで、日本軍は圧勝し、連合部隊側は艦船15隻中11隻を失います。
下の写真は日本軍の攻撃を受けるイギリスの巡洋艦エクセターです。


日本軍に撃沈された英海軍の巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」の乗組員四百数十名が漂流を続けます。

3月2日、そこに偶然、駆逐艦「雷」(いかずち)が通りかかります。

(敵兵を救助せよ)

海上に漂う多数の英兵を発見した駆逐艦「雷」は、即座に「救助活動中」の国際信号旗を掲げ、乗組員は、縄ばしごやロープ、救命浮標などで、救助にあたります。
敵兵を救助する・・・この判断を下したのは雷(いかずち)の艦長・工藤俊作少佐です。
工藤俊介少佐は、1940年(昭和15年)11月1日に駆逐艦「雷」の艦長に着任しました。

工藤艦長は敵潜水艦が近くにいない事を確認した後、「海上ニ浮遊スル敵兵ヲ救助スベシ」という命令を出し、一番砲だけ残し、船内総力を挙げての救助に当たるよう指示します。

 

長時間にわたる漂流で疲れ果て、疲労困憊の漂流者たちに対し「雷」の甲板上にいた乗組員たちは「頑張れ、頑張れ」と声援を送ります。
またある者は海中に飛び込み、立ち泳ぎをしながら、重傷した英兵の身体にロープを巻き付けて救助しました。

こうして「雷」の甲板は、救助された英兵たちで埋め尽くされます。
彼らは撃沈された時には、軍艦から流出した重油まみれでしたが、救出してくれた「雷」の日本兵によってアルコールで丁寧に拭き取られ、新品のシャツと半ズボン、
靴が支給されました。
そして落ち着くと、全員に熱いミルクやビール、ビスケットが配られました。

救助された中には「エクセター」「エンカウンター」の艦長、及び副艦長の姿もありました。

(あなたたちは帝国海軍のゲストです)

救助された英国兵たちの前に、救助を命令した「雷」の工藤艦長が艦橋から降りてきて、挙手の敬礼をします。

そして流暢な英語で「You have fought bravely(貴官らは勇敢に戦われた).
Now, you are the guests of the Imperial Japanese Navy! (いま、貴官らは日本帝国海軍のゲストである!)」と語ります。なんともしゃれていますね!

 

(乗組員の3倍を救出し、もてなす)
工藤艦長は、その後も遥か遠方に漂流するたった1人の漂流者を発見しては、見捨てることなく救助します。
そして救助した彼らに自分たちの貴重な飲み水や食料、衣類を与えて手厚くもてなしました。

水没したり、甲板上で死亡した者を除いて、午前中だけで404人、午後は18人を救助しました。
こうして乗組員約150名の3倍近い人数を乗艦させた上に、敵兵である彼らをゲストとして厚くもてなしました。

戦争中の海域で艦を停止させて救助活動にあたることは、いつ敵潜水艦に狙われるかもしれない危険性をはらんでいます。
また貴重な燃料を使って湯を沸かし、大勢の敵兵の身体を洗浄したり、自身の食料や衣服を分け与える事は他国の軍隊ではありえないことです。
さらに乗員の3倍近い敵兵を乗せることは、彼らが団結して蜂起し反乱が起きたら大変危険です。

(感謝の敬礼)

翌日、救助された英兵たちは、インドネシア島バンジェルマシンに停泊中の船オプテンノールに引き渡されました。

 

別れの時英兵達は「雷」のマストに掲揚されている旭日旗に敬礼をし、続いてウィングに立つ工藤にも感謝の敬礼をしました。

(その後)

工藤俊作少佐はやがて中佐に昇進し、内地勤務となりました。
一方駆逐艦「雷」は1944年(昭和19年)4月13日に米潜水艦ハーダーのの魚雷攻撃を
受けて、 サイパン島近海で撃沈されました。

 

敵国ながら救助し手厚く歓迎した工藤俊作艦長は、世界に誇れるこの武士道を他人に
話すことはなく1979年(昭和54年)1月に78歳で亡くなります。

 

工藤艦長の武士道は本にもなっていますよ!👇

 

 

3月2日は、駆逐艦・雷が
400人以上の敵兵を海上で救出し、

ゲストとして手厚くもてなした日です。