中国大陸やソ連などから引き揚げた方々が最初に日本の土を踏んだ場所です。
(最後の引き揚げ港・舞鶴)
太平洋戦争が終結した時、兵隊350万人、民間人310万人の合計660万人以上の日本人が海外に残されていたといわれます。
その引揚げのために舞鶴港の他9港が指定されました。
舞鶴港は終戦から2ヶ月後の1945年(昭和20年)10月7日に引揚の第1船となる「雲仙丸」が舞鶴に入港して2100人が帰国しました。
1950年(昭和25年)以降は、舞鶴港だけが国内唯一の引揚港として、引き続き引揚者を受け入れました。
舞鶴港は1958年(昭和33年)9月の最後の引揚最終船「白山丸」の入港まで13年間に、延べ346隻の引揚船が入港し、総数66万2,982人が舞鶴港に上陸しました。
引揚船に乗った3000人近い人は、小型船に乗り換えてこの桟橋に着いたと言う事ですが、すぐに上陸と言うわけではなく、近くの待避所で検疫や消毒されたそうです
その引き揚げの歴史を残そうと、この桟橋が1996年(平成6年)に復元されました。
(「語り部の鐘」と「招魂の碑」)
桟橋の右側には「語り部の鐘」がありました。
一方、桟橋の左側には「招魂の碑」がありました。
この近くには舞鶴引き揚げ資料館があります.
ソ連に抑留されシベリアで強制労働を強要された先輩方の苦労・事実を是非知りましょう。
<<舞鶴・引き揚げ桟橋への行き方>>
交通の便を考えると車で行った方がいいです。
JR東舞鶴駅より約6km(車で約15分)引揚記念館から車で3分程度。無料駐車場があります
JR東舞鶴駅より京都交通バス三浜線または田井・野原線に乗り、引揚記念館前下車、
その後、徒歩でかなり歩きます
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。
地図上のルートを押すと道案内をしてくれます】