「津浪記」と刻まれた石碑。。
大阪市大正区。JR大正駅から歩いてすぐ、安治川と木津川が合流するかかる大正橋の
たもとにあります。
この石碑は、幕末の1854年に起きた「安政南海地震」とその直後に発生した津波の被害の状況を記した「安政大津波碑」で、地震の翌年の1855年7月に建立されました。
この石碑が建てられた当初は木津川には橋はなく、石碑は渡し場に建てられていたそうです。
石碑の正面は花立、線香立てがあります。
(水の都大坂を襲った津波)
江戸時代の大阪は水運に恵まれ背景に京都などの大消費地を控え全国の物資の集散地となっていました。
街の中を何筋もの川が通り、川にはたくさんの橋が架けられていた「水の都」でした。道路が狭いため川が交通路として利用されていました。
また大坂では、大火が頻繁に発生していたため、人々は家財道具を川船に積み込んで
川に逃れる事を常としていたそうです。
その大阪を江戸時代末期の1854年、マグニチュード8.4の巨大地震が襲います。
地震で発生した津波が大阪湾から侵入して、それぞれの川を逆流し、現在のJR難波駅あたりまで流れ込みます。
各河川で小舟に避難していたたくさんの人々が命を落としました。
(地震の惨事を伝え残す石碑)
石碑には2面に渡り文字がびっしりと彫られています。
石碑には、大地震の惨事をうけた江戸時代の大坂の人からの、未来にむけて、地震が
発生した場合の対処方法のメッセージが刻まれています。
(石に刻まれた文字を解読)
石碑に刻まれた文章、そこに書かれた内容を要約して書きます。
「嘉永七年(一八五四年)六月十四日午前零時ごろに大きな地震が発生した。
大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら四、五日の間、
不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。
同年十一月四日午前八時ごろ、大地震が発生した。水の上なら安心だと小舟に乗って
避難している人もいたところへ、翌日の五日午後四時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
川の河口まで山のような大波が立ち、約一・四メートルの深さの泥水が流れ込んだ。
川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、橋は崩れ落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。
南北を貫く川筋は、一面あっという間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋は流れてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がつた。
しかし、救助することもできず、多数の人々が犠牲となった。」
(昔の出来事を忘れてしまったばっかりに・・・)
石碑の文章は続きます。
「その昔、宝永四年(一七〇七年)十月四日の大地震の時も、小舟に乗って避難したため津波で水死した人も多かったと聞いている。長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどいなかったため、今また同じように多くの人々が犠牲となってしまった。
今後もこのようなことが起こり得るので、地震が発生したら津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対してはいけない。
また、建物は壊れ、火事になることもある。
犠牲になられた方々のご冥福を祈り、ここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。 安政二年七月建立」
およそ150年前の1707(宝永4)年に起きた地震によって発生した津波が大きな被害を与えたにもかかわらず、月日の経過とともにその事が忘れ去られてしまい、ふたたび地震が起き、多くの方が命を落としました。
「大地震で津波が来て人々が亡くなる悲惨な出来事が実際にあったのに、知れ渡っておらず、今回もおなじように犠牲者が多数出てしまった!!なんと言うことか!!!・」
という悔恨の思いで、「このような事をくりかえすまい、地震の記憶を忘れないようにしよう」と、当時の方が風化しにくい石に出来事を刻み、多くの人が目につくところに建てて置くことにしました。
つまりこの石碑は「大地震が起きた場合には必ず津波が襲う。だから用心すべし」という教訓を伝えています。
(毎年地元民が墨入れ)
この石碑の文字、妙に黒いと思いませんか?
これは地元の人が、石碑に刻まれた文章に毎年墨を入れているのです。
碑文の最後には、これからの人たちがこの悲劇を繰り返さないように、毎年石に刻んだ文字に墨を入れてはっきりとわかるようにしておくことが要望として書かれています。
そしてその言葉を守り、今も地域の人たちが石に刻まれた文字に墨を入れて文字が消えないようにしています。
JR大正駅徒歩10分以内
石碑に刻まれた先人の教え。
そこには
「大地震が起きた場合には、必ず津波が襲うので舟で逃げては行けない」
という教訓が刻まれています。
過去から未来へのメッセージです