その路面電車が開業したのが11月23日でした。
現在、広島市を走る路面電車は、その起点はJR広島駅前にある電停です。
この広島駅から広電宮島口行き(厳島神社で有名な宮島へは、ここからフェリーで渡ります)や広島港(宇品)行きがでています。
平和記念式典が開かれる平和公園に行くときも路面電車が便利です。
すぐに電車が来るので待ち時間はほとんどありません。
この路面電車を運営する広島電鉄は、日本最大の路面電車の路線網と収益を持っています。
広島市を走る路面電車は1912年(大正元年)11月23日に開業します。
当初運行を開始した路線は、本線(広島駅~相生橋)、西塔川線(紙屋町~鷹野橋)、御幸橋線(鷹野橋~御幸橋)、常盤橋線(八丁堀~白島)の4路線でした。
当時、広島は軍都で沿線には軍需工場が多くあり、路面電車はそこで働く工員の重要
な輸送手段でした。
【1938年(昭和13年】の絵はがき:紙屋町交差点:広島市公文書館所蔵】
(戦争中は、男手が不足し女学生が電車に乗務)
1941(昭和16)年12月に太平洋戦争が開戦すると、広島電鉄の従業員の多くが出征したため、運転手などの人手不足が起きます。
その解消のため1943(昭和18)年4月、広島電鉄家政女学校が設立されました。
国民学校高等科を卒業した14歳以上の女学生たちが、授業自体は半日、残りの半日は
電車やバスに乗務し、働きながら学んでいました。
終戦の年の1945(昭和20)年初めには、人手不足がますます深刻となり、女学生たちは、授業はほとんどなく、代わりに電車やバスへ乗務し、最上級生の女学生は、電車の運転も任されるようになりました。
人類史上初めて戦争で原爆が投下された1945年(昭和20年)8月6日、路面電車も被爆します。
(被爆71年目当日に市電に乗車)
おっさんは、2021年(令和3年)8月6日、広島原爆から71年間となるこの日、広島市の平和公園や爆心地などを訪問しました。
このときも、路面電車を利用しました。料金は市内線が大人190円・小児100円でした。
このとき、電車の中には。。
近づいて見ると・・・
(被爆した市電も)
広島市を走る路面電車には、1945年(昭和20年)8月6日の原爆で被爆した電車もまだあります。
広島市を走る路面電車の車輌は、日本各地で廃止となった京都市電や西日本鉄道北九州線などで使われていた車両も走っています。
また、路面電車と言えば1両編成を思い浮かべル人も多いと思いますが、連結電車もあり、3両編成の「グリーンラインナー」、5両編成で超低床電車「グリーンムーバー」などがあります。
【広島電鉄公式HP】
・・ということで