1945年(昭和20年)8月6日、広島市に史上初の原子爆弾が投下されました。
当初は、新型爆弾と呼ばれていたこの原爆投下の第一報を、初めて伝えたのではないかと言われる場所があります。
広島城にあった中国軍管区司令部防空作戦室です。
(軍都として発展する広島)
広島市は明治期から軍都として栄えました。
1894年に日清戦争が始まると、広島城の本丸に大本営が置かれるなど広島城周辺は
一大軍事拠点となり発展していきます。
【広島大本営について書いたブログはココ】
日清戦争の時に、広島大本営が置かれた広島城内に、終戦間際の1945年(昭和20年)
6月、中国地方の防衛強化を目的として中国軍管区司令部と59軍司令部が置かれます。
下の地図、赤で囲んだ部分が中国軍管区司令部です。
図が小さいので拡大しました。広島護国神社のすぐ前にあるのがわかります。
中国軍管区司令部は、半地下の建物で今もその姿を見ることができます。
現在内部は非公開ですがその中には情報室、通信室、指揮連絡室、防空作戦室の4つの部屋がありました。
防空作戦室は、中国地方の5県に対して空襲警報や警戒警報などの防空警報を発令していました。
情報室と指揮連絡室には、比治山高等女学校の3年生が学徒動員され、各地の防空監視哨から送られてくる航空機の目撃情報を受け取る業務をしていました。
また通信室では、陸軍の通信兵が常駐して軍直轄の防空監視哨と無線で通信をしていました。
その隣にあった指揮連絡室では、女学生が防空警報の発令・解除を電話を使い広島中央放送局や軍の各部隊などへ連絡していました。
(原爆第一報)
8月6日朝に投下された原爆では、爆心地から790メートル離れたこの防空作戦室も
爆風で破壊されました。
原爆では、広島市内にあった電信電話が破壊されましたが、この施設内には軍事電話が残っていて、それを使い女学生が広島が壊滅状態であることを通信しています。
これが、広島の原爆被災の第一報といわれています。
今では、建物の隣には、遺影碑が建てられています。
【広島市の公式HP 中国軍管区司令部 防空作戦室】
<<中国軍管区司令部への行き方>>
(1)広島駅から路面電車で15分(「紙屋町東」電停下車、徒歩15分)
徒歩で15分
(2)広島駅からバスで15分(「紙屋町」バス停から徒歩15分)
※広島平和公園から歩いて行けます!!
陸軍の防空作戦室は全国に6ヶ所あったらしく、広島城内に今も残るこの建物現存する唯一のものだそうです。
平和公園から歩いて行ける近さなので、
是非訪れてみては、いかがでしょうか?