現在宮崎空港があるこの場所は、太平洋戦争中は海軍の赤江飛行場がありました。
この周辺には今も当時使用した関連施設が残っていて見ることができます。
そこで今回は 赤江にある海軍飛行場関連施設を紹介します。
(弾薬庫??)
太平洋戦争末期には海軍赤江飛行場は、沖縄戦の特攻隊出撃基地になり、ここから多くのパイロットが出撃しました。
現在は宮崎空港に隣接する畑になっていますが、ここにコンクリートでできた
建物が2つ、ポツンとあります。
案内板には弾薬庫と説明されています。
この2つのコンクリートでできた建物を見てみましょう。
下の写真の右奥と左手前の2つあるのがわかります。
2つの建物とも同じ作りです。
手前の建物はすぐ前に竹藪があり撮影が難しかったので奥の建物を見てみます。
けっこうしっかりしている作りのようです。
入り口にまわると。。
中はこんな風です。
この建物は半地下構造で明かり窓が4か所あります。
(待機壕では??)
今回案内してもらった郷土史家は、この建物の構造をみて「湿気を嫌う弾薬を備蓄する倉庫を半地下構造にすること」に対する疑問を抱いています。
そして、この建物は弾薬庫ではなく、高射砲陣地の要員や戦闘機の搭乗員の待機壕ではないかと推測しています。
と言うのは、このすぐ近くに小型戦闘機用の掩体壕があったからです。
その掩体壕は今も3基がのこっていて見ることができます。
【近くの小型機用掩体壕について書いたブログ】
<<赤江飛行場関連施設への行き方>>
車で行きましょう
下の地図の「弾薬庫跡」です
今も残る海軍航空隊関連施設、貴重です。