日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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【鹿児島の特攻隊関連施設を巡る】 鹿児島にある10カ所の特攻隊関連地を訪れました


どうしてもやりたかったことの1つが、
鹿児島県に行き、太平洋戦争末期に
この地から出撃した特攻隊の基地を訪れ、
祖国を守るために出撃された方々への慰霊の旅
でした。

それが2022年(令和4年)5月に
実現しました。

残念ながら鹿児島県内に
ある全ての特攻基地を訪れることは
できませんでしたが、

今回訪問できた10カ所をまとめて紹介します。

(特攻隊とは)

特別攻撃隊=特攻隊は、飛行機による突入が知られていますが、それ以外にも色々な形があります。
飛行機による本格的な特攻隊は、1944年(昭和19年) 10月 20日,フィリピンにおいて第1航空艦隊の命令により,戦闘機 26機で編成された部隊・神風特別攻撃隊の出撃が
最初とされます。
このときに出撃した関行男大尉は特攻第1号と言われ、また昭和最後の軍神となりました。


沖縄戦では九州南部を中心に続々と特攻機が出撃)
1945年(昭和20年)4月から5月にかけて行われた沖縄戦では鹿児島・宮崎・台湾など
から陸海軍あわせて約2500機の特攻機が出撃しています。



米軍資料によれば,終戦までに駆逐艦護衛空母など 20隻以上が撃沈,200隻以上に
損害を与えたそうです。

 

{鹿児島にある特攻関連の地を訪問)

鹿児島は太平洋戦争末期、地理的条件から特攻基地が複数作られ、ここから多くの若者が南の海に飛び立っていきました。
今回はレンタカーを借り朝から鹿児島にある特攻基地のうち、以下の10カ所を回りました。

ルートは、薩摩半島の万世・知覧。聖ヶ浦を回ったあと大隅半島の串良・鹿屋をまわり
桜島に行きました。1日あれば全てまわれます。

 

今回訪問した特攻関連の地。
下をクリックすると詳細を書いたブログに行きます。


【①桜島海軍基地】


【②戦艦大和殉職鎮魂の碑】

 

【③桜花・海軍神雷部隊宿舎跡】


【④海軍第125震洋隊聖ヶ浦基地】

 

【⑤串良地下壕電信司令室:
特攻機が突入時に発信した無線を受信した施設】


【⑥陸軍万世飛行場】


【⑦陸軍 知覧基地】

 

【⑧知覧から出撃した特攻兵士の面倒をみていた
トメさんの食堂】


【⑨海軍鹿屋基地】

 

【⑩鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔】


 

 

今回鹿児島にある10カ所の特攻基地を慰霊して感じたのは、特攻作戦をやめることはできなかったのか?
戦争を早く終結し、亡くなった彼らの力を戦後の日本再建にまわすことができなかったのか?という思いでした。

亡くなられた方々のご冥福を深くお祈りします。

注)当ブログ掲載の戦争時の「写真に関して」
1956年(昭和31年)12月31日までに公表された写真の著作物については、旧著作権法明治32年)で「創作後10年、公表後10年経過すると消滅している」と規定されています。
従って、当ブログ掲載の戦争時の「写真の著作権」は消滅しています。

 

(おまけ)