鹿児島県桜島にあるこの鳥居、
埋没鳥居 と呼ばれています。
桜島の火山が噴火したときに噴出した灰などで
神社の鳥居がここまで埋まりました。
凄いですよねえ
(鹿児島のシンボル:桜島)
鹿児島県のシンボル桜島。東西約12km、南北約10 km、周囲約55 km、面積約77km² の火山です。かつて、桜島は島でしたが、今は鹿児島市の対岸の大隅半島と陸続きになっています。
桜島は活火山で、今もよく小規模な噴火をしています。ニュースにもなっていますよね。
さて、この埋没鳥居、インパクトありますよね。
見た瞬間に おおおお!!!と思いますよね。
(桜島大噴火)
昔から何度も爆発している桜島ですが、1914年(大正3年)1月12日に桜島が大爆発しました。
下がその写真です。写真の下に人影が見えますが、それと比較すると、噴火の規模が
わかり、さらに煙の量が爆発の凄さを物語っています。
この噴火で噴出した大量の火山灰・軽石は、上空18,000m以上まで上昇し、特に火山灰はカムチャッカ半島まで飛んでいったといわれています。
【埋没鳥居の隣にあった資料館の写真より】
この大噴火で黒神一帯は火山灰、軽石等で埋め尽くされます。煙の量と凄まじさが写真から読み取れます。
【上2枚とも埋没鳥居の隣にあった資料館の写真より】
(3メートルの鳥居のほとんどが埋没)
黒神地区には、桜島の噴火でわずか1日で2メートルの軽い石や火山灰が積もりました。
黒髪集落の家々は屋根だけ残したままの姿で埋まってしまい、さらに高さ3メートルの腹五社神社の鳥居は、火山灰に埋め尽くされました。
【埋没鳥居の隣にあった案内板の写真より】
この埋没鳥居は、当時の東桜島村長の野添八百蔵氏が噴火の脅威を後世に伝えようと、そのままの形で残すことにしました。
また埋没鳥居の隣には奇跡的に生き残ったアコウの老樹があります。
この2つは歴史の証人ですね。
(火山の噴火で島と半島がつながった!!)
現在、桜島は、大隅半島と陸地でつながっています。それは、この大正時代の桜島噴火で流れ出した溶岩が島と半島をつないだのです。
とにかくすさまじい噴火でした。
【埋没鳥居の隣にあった案内板より】
【埋没鳥居公式サイト】
<<埋没鳥居への行き方>>
道路をはさんだ向かい側に駐車場があります
埋没鳥居は、
火山噴火の凄まじさを物語る物言わぬ歴史の証言者です。