福岡県北九州市若松区にある軍艦防波堤。
その軍艦防波堤を語る会が、
2023年(令和5年)4月2日(日)に開催されたので
参加してきました。
(軍艦防波堤とは)
軍艦防波堤・・耳慣れない言葉ですが、軍艦防波堤とは、文字通りに軍艦を利用して
作った防波堤のことで、福岡県や青森県などにあります。
福岡県北九州市若松区と洞海湾内部には、年中強い波風が入り、特に八幡製鉄所への
船舶の運航が困難で困っていました。
そこで、第二次大戦後、「冬月」・「涼月」・「柳」の三隻の駆逐艦が防波堤代わりに沈められました。
この3つの船で長さ770mの防波堤のうち約400mを作っています。
では、防波堤となった3つの駆逐艦を見て行きます。
「凉月」と「冬月」は、沖縄戦で戦艦大和とともに海上特攻をし、生き延びた戦艦です。
この3つの駆逐艦を使いつくった北九州の軍艦防波堤ですが、やがて時代の流れとともに「冬月」と「涼月」は台風等で壊れてしまったためにコンクリートに埋められてしまい現在、姿が残るのは「柳」だけです。
(軍艦防波堤を語る会 開催)
2023年(令和5年)4月2日(日)13時から、軍艦防波堤がある福岡県北九州市若松区の旧古河鉱業若松ビルで、軍艦防波堤を語る会が開催されました。
この会は、軍艦防波堤連絡会が企画しました。
語る会は、午後1時から3時半まで開催され、会場は立ち見が出るほどの大盛況でした。
会議中の撮影は禁止なので、それを遵守し、会議中は撮影しておりません。下は会議前です。
進行スケジュールは以下の通りでした。
遺族の関係者として、沖縄戦で戦艦大和とともに海上特攻に参加し、生還した凉月の乗組員の関係者3人と、柳の乗組員の関係者1人の合計4人が話をしました。その中には、凉月の艦長のお孫さんで亡くなるまでの6年間を一緒に過ごしたという男性もいました。
(展示物)
会場には貴重な展示物もありました。
【駆逐艦 柳 地中海遠征記念写真 1919年(大正8年)12月4日撮影】
【帝国海軍制服】
【凉月乗組員が沖縄特攻時に締めていた鉢巻き】
【60分の1の「凉月」:参加者が制作し今回持参】
【「柳」の設計図 実物の青焼き】
この柳の設計図の青焼きは、貴重な物なので表面をビニルで覆った形で公開されました。
【軍艦防波堤連絡会HP】
【軍艦防波堤連絡会ツイッター】
第1次大戦及び第2次大戦で活躍した軍艦を利用した
軍艦防波堤。
今、北九州市指定の文化財としての登録を求める動きが
出ています。