日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

MENU

4月12日 人間爆弾桜花 米駆逐艦マナート・L・エベールを撃沈

 

【桜花の碑案内板より】

 

人間爆弾桜花。
その桜花が確実に戦果あげたと言えるのが
1945年(昭和20年)4月12日の
駆逐艦マナート・L・エベール」撃沈です。

 

(4月12日 菊水2号作戦 桜花出撃す)

1945年(昭和20年)4月、沖縄に上陸した米軍に対し日本軍は陸海空で激しい
戦闘を行います。

4月12日、日本軍は「菊水2号」作戦を実施し、沖縄本島の読谷飛行場や嘉手納飛行場の奪還をめざし大量の特攻機を送ります。

快晴のこの日、「第721海軍航空隊」の神雷部隊は、鹿児島県の鹿屋基地で出撃命令を受け、一式陸上攻撃機で沖縄沖へと飛び立ちます。
一式陸上攻撃機には、“人間爆弾”と呼ばれた特攻機「桜花」が取り付けられていました。

【桜花の碑案内板より】

 

(雷神部隊)

神雷部隊は第721海軍航空隊の別称です。

この部隊は、人間爆弾・桜花を主戦兵器として編成された特攻専門部隊で、「桜花」パイロットの桜花隊、「桜花」を運搬する陸攻隊、掩護の戦闘機隊、の3つで編成されました。

神雷部隊の「神雷」という名称は「疾風迅雷」の音から由来しています。

 

(人間爆弾・桜花)

桜花は、一式陸上攻撃機(7~8人乗り)の腹部に小判サメのようにくっついた形で
飛行し、敵艦に接近してから分離され目標に向けて発射します。

桜花にはエンジンがありません。操縦席には速度計や高度計など目的の敵艦に到達するための最低限の機器しかなく、母体から切り離された後に、グライダーのように滑空した後、固体燃料ロケットを作動させて加速し時速600キロで敵艦に体当たりします。
そのため搭乗者は生還できません。

桜花は、全長6mの胴体に小さな翼をつけた超小型飛行機で、機首部には1.2キロの
大型爆弾を搭載しています。

この1機で戦艦や空母を撃墜できるとされていますが、桜花は生きて帰ることを想定していないために着陸用の車輪は装備されていません。

 

(米駆逐艦を撃沈)

沖縄の北西およそ800キロの海上ではアメリカ海軍がレーダーピケット任務に従事していました。

その駆逐艦マナート・L・エベールを発見した日本軍は特攻を始めます。
まず3機の海軍零式戦闘機が体当たりを敢行します。そのうち2機は撃墜されますが、残る1機が体当たりに成功しマナート・L・エベールは航行不能となります。

その約1分後土肥三郎中尉の操縦する桜花が、母機・一式陸上攻撃機から切り離され、火薬ロケットを噴進、時速600km以上となった桜花は、猛スピードでマナート・L・エベールに命中しマナート・L・エベールは真っ二つに折れ3分間で沈没します。

 マナート・L・エベールはこの前年の7月に就役した新造艦でしたが、桜花により、わずか9ヶ月で沈没となりました。

 

そのほか、別の桜花が、駆逐艦スタンリーに命中し戦闘不能となりスタンリーは予備艦行きとなり、また駆逐艦ジェファーズも小破しました。

マナート・L・エベールは沖縄戦で桜花によって撃沈された唯一の軍艦で、桜花によって攻撃された3隻のレーダー監視艦のうちの最初の艦でした。

 

(全滅の桜花初陣)

人間爆弾・桜花、その初陣は1945年(昭和20年)3月21日でした。
その日の午前11時20分、 野中五郎を指揮官とした第一次神雷桜特別攻撃隊に出撃命令が出ます。
目標はおよそ500キロ離れた沖縄を攻撃中の米機動部隊です。

陸攻18機、直掩零戦19機、間接援護零戦11機というチームで出撃します。

しかし総重量が2トン以上ある桜花を積むと一式陸上攻撃機の速度が低下し目標地点の手前でアメリカ軍戦闘機の迎撃を受け全滅、戦死者は160名となりました。
18機の母機全機が撃墜されるのにかかった時間は15分から20分程度でした。

 

その後も神雷部隊の出撃は続きました。制空権をアメリカに取られている中、桜花を積んで重量が重くなり飛行速度が落ちた一式陸上攻撃機は、目標にたどりつく前に次々と米軍機に撃ち落されています。

 

そして4月12日の第3回雷神部隊の出撃が初の本格的な成果となりました。

 

(桜花の戦績)

終戦までに桜花55機、一式陸上攻撃機51機、護衛のゼロ戦のあわせて430人を超える命が失われました。

全戦いを通して、桜花に沈められたのは、1945年(昭和20年)4月12日に撃沈された駆逐艦マナートLエイブリー(エイブル)1隻だけとのことでした。(一式陸上攻撃機 菅野善次郎さん 桜花搭乗員 土肥三郎中尉 享年22)

 

(神雷部隊の宿舎あとには。。)

鹿児島県鹿屋市の野里国民学校の校舎は、1945年(昭和20年)春頃から、 神雷部隊の隊員たちの宿舎となりました。その跡地には、石碑があります。

桜花の碑を訪問したときの記事は下をクリックして御覧下さい。


<<桜花の碑への行き方>> 

車でしかいけないようです。
笠野原インターから垂水方面へ、国道220号・バイパス・県道550号を経由で30分以内。朝日神社の隣 道路沿い
住所:鹿児島県鹿屋市野里町 朝日神社の隣

 

4月12日は
人間爆弾・桜花が米駆逐艦マナート・L・エベール」を
撃沈した日です。