「凱旋橋」と刻まれた橋。
埼玉県川口市にあるこの橋からは、
鋳物の街・川口の歴史が見えてきました。
(日露戦争勝利にちなんで作られた橋)
埼玉県川口市。鋳物の街として有名ですが、ここに、どうしても見てみたいものがありました。
川口郵便局の近く、錫杖寺の向かい側にある日露戦争の凱旋で作られた「凱旋橋」です。
下の写真で奥に見えるのが錫杖寺です。
(日露戦争勝利の翌年に完成)
凱旋橋の「凱旋」とは、戦争に勝って帰ってくることです。ここでいう「凱旋」とは
日露戦争で勝利し凱旋したことを指します。
日露戦争の翌年の1906年(明治39年)1月に旧川口町の町長以下町民たちによって、
当時ここを流れていた錫杖寺杁用水(いりようすい)に石造のアーチ型の凱旋橋が架設されます。
その1か月後の2月18日には開通式が行われます。
【凱旋橋の案内板に掲載されていた写真】
さらに同年5月13日には、当時の川口町出身兵士の日露戦争凱旋祝賀会が開催され、
この橋は、その凱旋パレードの通過点となります。
(日露戦争と川口の鋳物産業)
川口の産業は日露戦争と大きく関係しています。川口は、日露戦争を機に砲弾や機械部品などの製造が盛んになり、工場数も倍増し大量受注大量生産体制が確立します。
さらに戦時体制下での鋳物生産体制に組み込まれ鋳物業が飛躍的に発展して、川口の近代化が大きく進みました。
つまり川口にとって日露戦争は大きなターニングポイントだったのです。
(凱旋橋跡付凱旋橋之碑)
凱旋橋には案内板がありました。
全文を見てみます。
凱旋橋跡付凱旋橋之碑
平成21年6月24日指定
日露戦争終結の翌年の明治39年(1906)5月13日に挙行された川口町(当時)出身兵士の凱旋祝賀会に際し、凱旋パレードの通過点として当時ここを流れていた錫杖寺杁用水に架設された石造アーチ型の凱旋橋の遺跡です。
橋は同年1月に、たもとに建立された凱旋橋之碑とともに竣工し、2月18日には開通式が行われました。
由来などを記した凱旋橋之碑は、現在、川口神社境内に移設されています。
川口の鋳物業は、日露戦争(1904~1905)を契機として砲弾や機械部品などの製造が盛んになり、工場数も倍増し大量受注大量生産体制が確立しました。これが戦時体制下での鋳物生産体制に組み込まれたことにより、技術の進展と相まって飛躍的に近代化が図られるようになったのです。
この凱旋橋跡は、江戸時付にあっては日光御成道川口宿の北の玄関口に位置し、続く近代には本市を代表する地場産業である鋳物業発展のエポックとなった日露戦争とこれにかかわった人々の記憶を留めている貴重な歴史遺産です。
つまり、鋳物の街・川口は日露戦争にその原点があり、さらにこの凱旋橋ともつながっているというわけです。
(凱旋橋之碑)
凱旋橋の近くには凱旋橋之碑もありました。凱旋橋之碑は、後日、川口神社に移設されたので、それも見てきました。
ただし、朝行ったので写真を撮影したら逆光で綺麗に写真が撮れませんでした。
碑の上に「凱旋橋之碑」という文字があるのがわかります。
【川口私立文化財センターHP 川口の凱旋橋】
<<凱旋橋の行き方>>
JR川口駅から徒歩15分~20分
住所:埼玉県川口市本町2丁目22−18
気が付く人も少ないと思われる小さな橋・凱旋橋。
しかし
非常に重要な歴史的な橋です!