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大河ドラマ「どうする家康」ネタバレあらすじ第15話「姉川でどうする!」

 

大河ドラマ「どうする家康」、第15話「姉川でどうする」は選挙速報のため15分遅れての放送。視聴率は11.1%で14話の11・4%。から0・3ポイント微減。

では、ストーリーを見て行きます。

 

金ヶ崎の戦いを生き抜いて)
今回の舞台は1570年に起きた織田・徳川連合軍VS浅井・朝倉連合軍の「姉川の戦い」です。

まさかの浅井の裏切りで、大ピンチとなった金ヶ崎の戦いを、家康と藤吉郎は、命からがら生き延び戻ってきました。
到着し疲れ切っている家康、それに対し藤吉郎は、信長の気配を感じると、急に自分の体を汚し始め、さらに信長が現れると「あ~殿じゃ!殿がご無事じゃあ!」と自己アピールを必至にします。

 2人の労をねぎらった信長は、家康に再び浅井と朝倉討伐に向けての出陣を命じます。
こうみると、織田・徳川の同盟は対等ではなく、徳川が織田の家臣になったように感じますね。

命令を受けた家康ですが、自分の国が気になるので、躊躇していると、信長は「くるかこぬかは、おぬしが決めろ」と言います。

そして、家康に「乱世を終わらせるのは誰じゃ」と言い、ガラス容器を差し出し、立ち去ります。 
その中身は当時の大貴重品の金平糖でした!信長からのプレゼントです。この信長のふるまい、なんなんだか???

 

(父上もやりますねえ)

家康は岡崎城に戻って長女・亀姫、嫡男・信康とその妻・五徳(信長のむすめ)に、旅立つ前に約束した金平糖をプレゼントします。金平糖をもらった五徳は、生意気そうに「父上もなかなかやりますな」と口をききます。
こうして当時の貴重品・金平糖を分け与え家康はその面目を保ちます。
久しぶりに再会し、家族睦まじくいい雰囲気でしたが、すぐに浅井と朝倉討伐の戦となります。

 

姉川の戦い

信長率いる幕府軍浅井長政の本拠地である北近江に進軍します。そして小谷城の南の姉川を超えたところにある横山城を包囲しました。

 藤吉郎は、戦に出陣した家康に、その領地の事が大丈夫かと心配しますが、家康は見付城の拡張工事も終わり、 遠江平定のメドが立ったことを話しました。

すると信長が「見付?遠江をおさえるなら引間じゃ。引間城に入って治めろ。また引く馬城というのは縁起が悪い、名前も変えてお前が入れ、武田を抑えるにはそれしかない。、そして岡崎は息子の信康にまかせろと」と命令します。
まるで信長が三河の主で家康は、その家臣のような口ぶりです。

それに対し家康は「息子の信康では、まだできませぬ」と反対しますが、信長は「無理でもやらせろ」と言い2人は対立します。
信長はさらに徳川勢に一番槍、先陣を切れと命じ完全に家来扱いです。

 

(達者でな) 

小谷城では、浅井長政お市に、「今夜出陣する、織田に戻ってもよい、見張りは解いてある。達者でな」と告げて出ていきます。

そして家康に文を送りました。

 

 (長政からの文)

自陣に戻った家康は、偉そうに命令をする信長に怒ります。
そこに七之助が書状を持って飛び込んできました。
この書状は長政からのもので、「信長に義はない。信長の世にしてはならぬ。伴に信長を討ち取らん!」と書いていました。
最近の信長の傲慢な態度の数々、そしてこの長政の書状・・・家康の心はゆらぎます。

 

(どっちに付くか‥揺れ動く家康)

1570年6月28日、姉川の対岸に、浅井・朝倉の2万の大軍が姿を現しました。
浅井勢は織田へ、朝倉勢は徳川へと二手に別れます。
冷酷な信長は皆殺しを宣言し、秀吉には家康を見張るように命じます。

長政からの書状を受け取った家康は、信長を討つ方に動いていました。

織田が浅井と戦っている間に朝倉と組んで後ろから攻めれば勝てる。千載一遇のチャンスなのです。

 

しかし酒井忠次は、義なんてものは綺麗事で、長政の案に乗ってはいけないと説きます。もし朝倉に背を向けた途端に朝倉が裏切れば後ろからやられる危険性があるからです。

家康が判断に迷っている間に朝倉浅井勢が進軍を始めました。決断は一刻を争います。

さらに酒井忠次は、信長にそむくことは幕府に逆らうことになると言います。

 

なかなか動き出さない家康に業を煮やした信長が、徳川の本陣に弾丸を打ち込んできました。判断に迷っている家康に“軍を進めろ”という意味です。

この砲撃で家康は、「今の一発で死んでいたかもしれない。そんなやつを信じるのか。このときも、信長はわしを試しておる。裏切れるなら裏切ってみろ、どうせできないとバカにしている。」と言います。

酒井忠次は、「信長を討てば、あの桶狭間の後のぐっちゃぐっちゃに逆戻りじゃのう」と言い、さらに石川数正が「信長がいなくなったらこの世はめちゃくちゃになる、そうなれば生き延びることすら難しいかもしれない。ただ殿がやれると申されるなら従いまする」と言います。

 

迫る朝倉勢、そして早くしろと言わんばかりに陣に鉄砲を打ち込んでくる信長。

信長の度重なる高圧的態度に嫌気がさした家康は浅井長政に付こうと考えましたが、
部下の冷静な忠告もあり、長政と戦う決断を下します。

 

のちに「姉川の戦い」と呼ばれるこの戦は、徳川が先陣を切って戦います。
そして、織田・徳川軍は朝倉浅井軍3万の兵を撃破します。しかし浅井長政は取り逃がした。
徳川軍の出陣が遅かったことに疑問の声が上がりますが、家康は「十分にひきつけて敵の動きが川の中で鈍るのを待ってから討って出た」と言い訳をします。信長は「これからは判断を間違えるなよ、白兎」といい家康の耳をガブリと嚙みます。凄く嫌な人ですね。

 

お市の覚悟)

逃げ延びた長政は小谷城へ戻ります。ここで、お市は、「兄は裏切ったものは決して許さない。織田信長を討ち取りなされ」と長政に言います。

一方、武田家、千代が遠江は殿不在で民は困っているのではないかと言うと、信玄が銭を渡します。これは??


(浜松!)

家康は遠江を鎮めるため、信長の指示どおり岡崎を信康に譲って引間城に移ることにしました。

岡崎には数正と七之助を置いていくことに決めますが、瀬名も「ここに残る」と言い出し淋しくなります。

瀬名が健康の事を考え、家康に薬草の煎じ方を教えているのに、家康は瀬名との別れが淋しくて泣いてばかりです。

 

また、信長から「引間」という名前が縁起が悪いと言われたことに悩んでいました。

瀬名が、引間の地は、松の木々が立ち並ぶ浜がたいそう美しいことから、かつて「浜松庄」と呼ばれていたことを口にしました。

すると家康は「そなたはすごいの!浜松に決まりじゃ!」と「浜松」という地名に変えます。

 

遠江の地)

家康は、瀬名と別れて、遠江の浜松へ向かいます。

遠江の民は家康を見ると「あれが今川様を裏切った殿様じゃ」「お田鶴様を殺した殿様じゃ」と敵意むき出しです。

茶屋で休もうとすると、だんごの中には石が入っていました。おいおい。

そんな中、引間の娘たちが、家康のために舞を披露してくれました。

家康たちは可愛い少女たちの踊りを楽しんでいましたが、突然、その中の一人が家康に襲いかかってきました。原康政と平八郎の槍をも交わし、女は素早い身のこなしで家康に迫ります。

少女の手元には短刀が握られており、家康を殺そうとします。
しかし、この少女は、実は女ではなく、井伊虎松、のち井伊直政で扮していたのです。

手荒なもてなしを受けた家康。さてどうする!!(続く)