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大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレあらすじ 21話「長篠を救え」

どうする家康の第21話タイトルは「長篠を救え」です。

この大河ドラマの主役は、徳川家康ですが、
今回は
鳥居強右衛門(すねえもん)・36歳です。
食べるし・走るし・泳ぐし、
テーマ曲があり、何度もそれが流れるし、
そして最後壮絶な死・・・
1回限りの登場ながら強烈なインパクトを残しました。

では、ストーリーを見て行きます。

 

(瀬名と千代)

瀬名が、自分が住む築山に武田の忍びの千代を招きお茶をふるまいます。
この席で、千代は、「苦しいご胸中、お察しいたします。もはや、徳川は風前の灯火。頼みの織田様は、助けてくれませぬしなあ。岡崎は、岡崎で生きていかねばなるまい。武田は、いつでも受け入れますよ。あなた様と信康さまを。あなた様なら、勝頼様の妻として受け入れることだって。」と瀬名を誘います。

千代は、戦で夫を亡くし子供もいない、そして、武田にもよくしてもらっていると言います。

千代は、徳川を内側から崩壊させようと言うのか、分断させようとのか?

これに対し瀬名は、「千代さん、もし戦がなかったら、別の人生があったのではないか。あなたから幸せを奪ったのは本当は、どなた様なのかしら。私とあなたが手を結べば何かできるのではないか。武田のためでも徳川のためでもなく、もっと大きなことが…。」となにやら意味深の誘いをします。

瀬名が持つたたずまいに、千代は引き込まれて余計なことを言いそうになったと言い、その場を立ち去ります。瀬名、おそるべし・・。
そして、この2人の女性・・お互いがこわい・・。


(主役登場)

1575年5月、武田勝頼長篠城を見下ろす医王寺山に本陣を構え、長篠城は1万5,000の武田軍に攻囲されました。この長篠城主の奥平信昌は、2年前に武田から離反し徳川に寝返っていました。

5月8日に開戦、11、12、13日にも攻撃を受けながらも長篠城は何とか防衛を続けていました。しかし、13日に武田軍から放たれた火矢で城の北側に在った兵糧庫を焼失食料がつき兵糧攻めとなり兵士たちは飢えに苦しんでいました。このままでは飢え死にし、落城寸前となりました。

そんななか、瀬名の娘の亀姫が、外で何かが倒れているのを発見し不安に思い石をぶつけます。それは全身毛に覆われた熊のような大男でした。彼は、奥三河長篠城城主・奥平信昌の家臣・鳥居強右衛門(すねえもん)、36歳。今回の主人公です。

亀姫が大型の握り飯を与えるとガツガツと食べます。よっぽど腹が減っていたと思われます。

長篠城は、武田に囲まれ、徳川の援軍が来ず食料も尽きてしまい落城寸前の状態。もう徳川に頼るしかない決断した長篠城城主・奥平信昌は、徳川に援軍要請を伝えに行くという強右衛門の言葉を信じて岡崎へと行かせます。

しかし長篠城にいる武士たちからは、強右衛門は徳川の陣地にはいかずに途中で武田に寝返るに違いないなど疑われます。

鳥居強右衛門は、助けを求めるために、5月14日の夜陰に乗じて長篠城の下水口から出発。川を潜ることで武田軍の警戒の目をくらまし、無事に包囲網を突破し翌15午後に岡崎城までやってきたのです。

 

しかしこの動きは、実は武田側に察知されていました。強右衛門の動きを知った、武田軍の山県昌景武田勝頼に「強右衛門を捕らえましょうか」と言いますが、勝頼はそのまま見過ごせと言います。これは勝頼の作戦がありました。

 

(援軍を送らなければ武田と組んで信長を攻める!)

その翌日、浜松城から家康がやってきました。

家康と家臣団は、強右衛門が持参した信昌からの書状を読みます。そして、武田から徳川に寝返ってくれた奥平を見捨てるわけにはいかないので、奥平を助けようと決意します。
一方、万千代は、長篠は徳川をおびき出す餌だと言います。
このとき、武田の軍勢は徳川の3倍。勝ち目がありません。そうなると織田の助けが必要となります。

 家康は織田に援軍要請をしますが、信長の遣いでやってきた水野信元と佐久間信盛は、いい返事をしません。
すると家康は、「今すぐ援軍をよこさなければ織田と縁を切る、武田勝頼と組んで織田と戦う、そう告げよ」と言い2人を返します。

 

 (信長登場)

 2日後の5月14日、織田信長が2万を超える大軍勢を率いて岡崎に現れました。信長は来たことで、徳川の陣営は賭けに勝ったと喜びます。
それを聞いた強右衛門は、亀姫に、我が殿はろくでなしの自分を信じて送り出してくれたやさしいお方であり、「我が殿をよろしく」と言います。それを聞いた亀姫は???と何のことやらか理解ができません。

 

到着した信長と秀吉たちは広間に入りました。外で待つ秀吉など家臣に中に入るように促しますが、秀吉は辞退します。

家康が「よくぞおいでくださった。お礼を申し上げ・・・」と信長に挨拶をしている途中で、信長が膝をついて「徳川殿、再三の求めにかかわらず遅れたこと、心よりお詫びいたす」と謝罪します。この態度・・・????

信長が膝をついたため、恐縮した家康や家臣団も全員が膝をついて挨拶をします。
信長は信康の方に向き直し「婿殿。今更ながらの対面、許されよ。織田信長である。」とあいさつをし、瀬名にも「娘の五徳が、我がままを申すようなら遠慮なく、折檻なされよ。」と言います。

さらに信長は、亀姫に奥平が持ちこたえているのは亀姫のおかげだと言い。「戦が終われば、一日も早く奥平殿のもとへ参るとよかろう。」と付け加えます。

これを聞いた家康以外の人は、いったい何の事と感じます。

 

石川数正が、軍評定を促すと、信長は「ここは徳川の城だから」と家康と信康に上座を譲ります。 

軍評定では、本多忠勝が説明する作戦を信長はただただ黙って聞くだけでした。

 ただ、秀吉は家康の耳元で「実は信長はすごく怒っているから気をつけろ。」とささやきます。

 

(援軍の条件)

評議の後、瀬名は、家康を大台所に連れて行き、先ほど信長が話した、亀のことについて問いただします。すると家康は、信長から参戦条件に亀姫を奥平に輿入れさせることを言われていたことを話します。
そのことに対し妻や息子から問い詰められた家康は、この話は織田が勝手に進めただけだと言い訳をします。
そしてこの縁談に瀬名も信康も、そして当人の亀姫も乗り気ではなく、家康は、今日のうちにハッキリ断れと迫られます。

(すごみ)

夜、信長たちとの食事の席が設けられました。その席で家康がなかなか言い出せずにいると、信康が信長の前に行き「我が妹と奥平殿との婚姻の儀、なしとしていただきたく存じます。」と言い瀬名と家康も前に出て、頭を下げます。
それを聞いた信長は「その通りじゃ。勝手に話を進めてすまなんだ。」と素直に言います。さらに、「清洲同盟からの関係を断つ。すなわち徳川と手を切る」と言います。

織田と徳川との同盟がなくなるという事は、家康が信長の家臣となるということです。数正は、“仮に”家臣にならなければどうなるのか、と聞くと、秀吉は、今宵にでも五徳を連れて引き上げると言います。

信長は「勝手に決めるつもりはない。決めるのは、お主じゃ。俺と手を切りたければ、そうすればよい。勝頼と組んで、俺を攻めたければ攻めるがよい。いっそ、ここで俺の首を斬ったらどうだ。今なら、とれるかもしれんぞ。今じゃ、今、決めろ。」とすごみます

これは脅しだ!と家康が言うと、先に脅してきたのは家康だと信長。

それを聞いた家康は「?今まで織田が徳川に何をしてくれた。桶狭間以来、わしは多くの犠牲を払ってわが国を守ってきた。なんで今さらお前の家臣にならなければいかんのじゃ!」と叫び、それを聞いた信長は五徳を連れていこうとします。

 

(強右衛門)

信長が帰ろうとするとき、強右衛門が現れ引き止めます。
そして「長篠を、奥平を助けて下さい!」と懇願します。

すると、亀姫も現れ、信長の前にひざまづき、「お怒りをお静めくださいませ!奥平のもとに喜んで嫁ぎます」と訴えます。

それを見ていた瀬名も、家康は決して織田の家臣になることを拒んでいるのではない、ただ考える猶予が欲しい。輿入れの話はひとまず置いて、長篠の件を先に進めてほしいと割って入る。

こうした動きを見て信長は、亀姫に、ほんの余興だと告げ、長篠は助けると明言します。

亀姫は強右衛門に「奥平様に輿入れを楽しみにしている、毛むくじゃらでも構いません!」と告げます。強右衛門は「我が殿は毛むくじゃらではごぜぇません。」と答えます。

 

織田徳川の援軍の約束をもらった強右衛門は、籠城で苦しんでいる長篠城に一刻も早くこの朗報を伝えたようと奥三河へ急ぎます。

走りながら歌い、みんなに胴上げされたり、亀姫が長篠にやってくることを想像します。
ろくでなしと馬鹿にされていた自分が大役を成し遂げ、自分を信じてくれた殿に恩返しができる、そして優しくて美しい亀姫が長篠に来てくれる・・・色々な喜びに酔いしれていました。

しかし、先ほど述べたように、強右衛門の動きは武田軍に察知されていました。そして武田に捕らえられた強右衛門は、勝頼から、長篠城に行き「徳川は長篠を見捨てた、城を明け渡すべきだ」と伝えるように脅迫されます。そうすれば武田に召し抱え、褒美の金を与えると言われます。
しかし、それを実行したら長篠城でいままで踏ん張ってきた仲間たちは落胆し士気が下がるのは当然です。自分だけ助かっていいのか・・・強右衛門は苦悩します。

 

(もう少しの辛抱だ持ちこたえろ!)

兵糧攻めが続く長篠城・・。ここでは、やはり強右衛門は逃げたんだろうとみな落胆していました。

すると強右衛門が姿を現します。
その背後には鉄砲を構えた武田軍が配置しています。強右衛門は、「徳川は助けに来ない、見捨てられた」と、勝頼の命令通りに伝えます。
これを聞いて長篠城の奥平勢は絶望します。勝頼の戦略通りです。
役目を終え金の入った袋を渡された強右衛門・・。そのとき強右衛門は金をこぼしてしまいます。地面におちた金貨を拾い集めながら、チャリンと鳴ったその音に、亀姫が持っていた鈴の音を思い出します。

そして強右衛門の脳裏には、こんなに汚れて汚い自分の手もしっかりと握ってくれるような心の優しい亀姫がよぎり、その思いを裏切ることはできないと決意します。
亀姫の優しさが裏切りかけた強右衛門を変えたのです。
その場を駆け出した強右衛門は、信昌たちに「徳川が織田の大軍を引き連れてやってくる。もう少しの辛抱だ、持ちこたえろ!と叫びます。
それを聞いた長篠城は、気を持ち直し士気が上がります。

 

(はりつけ)

見事伝令を果たした強右衛門。しかし、このふるまいを勝頼が赦すわけがありません。

強右衛門は信昌たちの目の前で、ふんどし一丁の姿ではりつけ姿にされます。そのすぐ下には、たくさんの槍を構えた兵士がいて、勝頼からの暗殺の号令を待っています。
この事態に、強右衛門は最後にこう叫びます。

「殿 — !徳川の姫様は麗しい姫君。大事にしなされ。そりゃあまあ本当に素晴らしい姫君様じゃ!」そう叫んだあと強右衛門は、みせしめのため処刑され死亡します。

命がけで伝えてくれた強右衛門の思いを忘れないため、磔にされた強右衛門の姿を描いた旗が長篠城に掲げられました。

(その後)

この強右衛門の決死の報告のおかげで「援軍近し」の情報を得た長篠城の城兵たちは、強右衛門の死を無駄にしてはならないと士気を奮い立たせ、援軍が到着するまでの2日間、武田軍の攻撃から城を守り通します。
信長は、この強右衛門の行動に感銘を受け、強右衛門のために立派な墓を建立させたと伝えられています。

 

強右衛門は死を覚悟で長篠城を脱出する際、「我が君の命に代わる玉の緒の何いとひけむ武士(もののふ)の道」という辞世の句を残したと伝えられています。この歌を訳すと「主君を助けるためには自分の命を犠牲にすることもいとわない」と言う事です。


いやあ、今回は、強右衛門に持っていかれましたね。
我が主君と姫君の仲繋ぎ、命がけの徳川・織田の援軍要請にも成功し、命をかけてその報告をした強右衛門!今回限りの登場でしたが素晴らしい功績を残しました。

今回は「戦国版“走れメロス”」鳥居強右衛門の壮絶ストーリーでした。

次回!その長篠をめぐる織田・徳川軍と武田勝頼との長篠の戦いです。