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大河ドラマ「どうする家康」ネタバレあらすじ第17話「三方ヶ原合戦」

どうする家康の第17話は、
家康が大敗北をして
死にそうになった、
武田との戦い・
三方ヶ原合戦です。

第17話の視聴率は10.1%。前回比-0.6%。シーズン平均視聴率は12.12%です。では17話のストーリーを見て見ましょう。

(信玄との戦)

1572年の秋、徳川と武田の戦が始まります。
戦力をみても圧倒的不利な状況ですが、家康は「信玄に勝つ!今こそ、我らが桶狭間をなすときぞ!」と気合を入れ意気込みます。しかし、その気合とは裏腹に武田軍は、
ことごとく快進撃を続け、家康領を侵略して、その勢いは止めようがありません。

高天神城を簡単に落とした武田軍は、さらに、進軍し家康がいる浜松城のすぐ近くの
二俣城までやってきました。
迫りくる信玄軍、それを待ち構える家康・・・。その家康のもとに同盟を結んでいる信長から伝令が来ます。信長は、家康が武田軍を浜松で武田を食い止めるように指示します。信長は、今は浅井軍・朝倉との戦闘中であり家康に援軍を送る余力がないのです。

 

それを聞いた家康は、信長の伝令係でやってきた叔父の水野信元に「2日だけ抜け出し、いつものところで鷹狩りをしようと信長に伝えてほしい」といいます。

 

(信長・家康直接会談)

信長を呼び出し、直接交渉にのぞんだ家康ですが、信長から「あれほど言っただろう。信玄を怒らすな」と言われてしまいます。
この席で、家康は、信玄を食い止めるのに5000の兵を信長に要求しますが、信長は3000と応え、話になりません。
そして、信長は家康に「死にそうな顔をした大将には誰もついてこんぞ。楽しめ。一世一代の大勝負を。俺とお前は一心同体。信玄を止めろ。俺が必ず行く。」と言います。

 

(瀬名)

信長との交渉の帰りに、家康は妻の瀬名がいる築山に立ち寄りました。
今回、武田と戦では、家康と瀬名との息子の信康の初陣でもあります。瀬名は息子の初陣が信玄と言う巨大勢力であることが心配でたまりません。

瀬名は「信康は1日、1日見違えるように成長し母はたいそう嬉しい。けど、本当は寂しい。虫も殺せぬ信康が、戦をする武人になっていきます。どうしてなんでしょう。どうして戦は、なくならないのでしょう。」と心の内を家康に話します。

それを聞いた家康は「この乱世、弱さは害悪じゃ。これは、わしの弱い心じゃ。ここに置いていく。持っておいてくれ。」と言い、木を彫って作った兎を瀬名に渡しました。

さらに家康は「瀬名、そなたはどんなことが起きようとも強く生きろ。ここは、誠に夢のような場所じゃ。ここには指一本触れさせぬ。」と言い、瀬名も「殿、いつか必ず取りに来てくださいませ。殿の弱くて、優しいお心を。瀬名は、その日を待っております。」と返します。

夫婦愛が見れたシーンでした。

この7年後の1579年、瀬名こと築山殿は殺害に追い込まれます。

 
(籠城で信玄と対峙する作戦)

瀬名と別れた家康が浜松城に戻ると織田軍から3000兵の援軍がありました。

しかし、その間にも信玄の進撃は進み、残すは浜松城のみとなっていました。

ここで、家康は自分の策を家臣団に伝えます。その策とは、浜松城に籠城し、織田軍が駆けつけるまで持ちこたえ、織田軍が来たら、挟み撃ちをして信玄の首をとるというものでした。

 

(信玄軍天竜川を渡る)

12月22日、武田軍3万の兵が天竜川を渡ってきました。
そして、浜松城の北側に山県昌景が率いる武田の大軍が出現しました。

しかし!!迎え撃とうと意気込む浜松城内の家康に対し、武田軍は、浜松城を攻めるのではなく、通りすぎようとしています。 素通りです!!
家康は、存在を無視された形になり面目丸つぶれ!「わしはここにおるぞ。信玄!信玄!」むなしく叫ぶ家康・・。

 

(どうする!!??)

このまま、武田軍が家康を無視して通り過ぎてしまうと遠江の民は家康に失望し、誰も徳川についてこなくなります。しかし、信玄との戦をするとその実力差で間違いなく負けるのは明かです。
この事態にどうするべきかで家康家臣たちの考えが分かれ、意見が飛び交います。

織田からの援軍勢は、「我らは籠城するようにと命じられてここにおる。」と籠城派で、武田軍との戦には加勢する様子はありません。

このような状況にあり、いったいどうするのか・・みなが家康に判断をあおぎます。

思案した結果、家康は、家康軍が武田に勝っているのは地の利、すなわちこの周辺の
土地を知っているという事だと言います。
それを聞いた夏目は、すぐに地図を広げます。
武田軍は三方ヶ原の向こうの崖に向かっているので、そこで、攻めれば、兵力をかなり削げると判断しました。

さらに家康は言います「我が屋敷を通ってそのままにしてる者があろうか。戦の勝ち負けは、天が決めるんじゃ。直ちに追い、後ろから追い落とす。出陣じゃ。」

 

(信玄の策略)

進軍する武田軍の背後から襲いかかろうと出陣する家康軍。

しかし、ここは信玄が二枚も三枚も上でした。信玄は家康の動きを完全に予測し動いていたのです。
武田軍を追う家康軍でしたが、武田軍は三方ヶ原に大軍をとどめ、家康軍を迎え撃とうとしていました。
信玄は、家康の動きを読んでいて平野におびきだしていたのです。

信玄は言います「こわっぱよ。戦は、勝ってからはじめるもんじゃ。」
勝負あった!!まさに戦略のうまさであり作戦勝ち。信玄の方が格が1枚も2枚も上でした。

今回は三方ヶ原の戦闘シーンはわずかでした。戦場には家康軍の兵士の死体が並びます。惨敗です。
三方ヶ原の戦は、徳川軍の大敗北と言う形で決着がつきました。

兵士の死体が並ぶ戦場に、浜松入りした家康を襲って捕まったものの、解放された井伊虎松が見ていました。

すると、家康がまとっていたあの豪華な金茶美具足が荷車で運ばれ、家康がつけていた兜も!!

家康は討ち死にしたという情報が広がります。

物語はここでおしまい。次回につながります。