日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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5月25日、日本で初めて食堂車が走りました

【出典:明治時代の食堂車【出典:「東京風景」」(1911年4月発行) 国立国会図書館ウェブサイトより東京風景 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

1899年(明治32年)5月25日、
日本で初めて食堂車が連結された鉄道が走りました。

 

(日本初の食堂車)

1899年(明治32年)5月25日、神戸〜三田尻(現在の防府)間の運行をしていた私鉄の山陽鉄道(現在の山陽本線)が、官設鉄道直通の京都〜三田尻間の急行列車に食堂付き一等車を連結しました。
これが日本初の食堂車です。車両は3軸ボギー車で,全長15m,幅・高さとも2.4m,車室は3部に分かれ,その1室の8人座席の食堂は厨房内にレンジと流しがあり、他の2室は8人定員の一等寝室,および洗面所、便所、乗務員用でした。メニューは洋食のみで,一・二等客専用でした。
それに由来し5月25日は「食堂車の日」です。

 

せっかく誕生した食堂列車ですが、当時の列車は揺れが激しく、車内で食べるのもなかなか大変だったようですが、「汽車の中で景色を見ながら洋食を食べる」ことは当時のハイカラであり好評だったようです。


その2年後の1901年(明治34年)12月15日、官営鉄道の国鉄の新橋駅~神戸駅間の急行列車に食堂車が連結されました。食堂は東京・築地や上野で西洋料理店を営む「精養軒」によって運営されました。

しかし、国府津〜沼津間および馬場〜京都間は急勾配区間であったため、同区間では
食堂車を切り離して運転されていました。

 

当時の食堂車は一・二等旅客専用の洋食堂車で、一般の三等旅客には無縁の存在でした。

 

(誰もが利用できる食堂車が登場)

その5年後の1906年明治39年)4月1日には新橋駅~神戸駅間の三等急行列車に和食堂車が初登場し、これで食堂車が誰でも利用できるようになりました。一・二等旅客は洋食堂車、三等旅客は和食堂車と区分されていました。

下の写真は1911年(明治44年)4月に発行された「東京写真」という本に掲載された食堂車の写真です。

【出典:明治時代の食堂車【出典:「東京風景」」(1911年4月発行) 国立国会図書館ウェブサイトより東京風景 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

 その後、長距離区間を走る列車に次々と食堂車が連結されるようになりました。
しかし、太平洋戦争の戦局悪化に伴って、1944年(昭和19年)4月1日に食堂車・寝台車・一等車の連結が廃止となりました。

戦後、食堂車は復活しましたが、鉄道の高速化による乗車時間の短縮などにより、その利用者は減少を続けました。

(食堂車の思い出)

おっさんは、高校の時、九州に住んでいました。大学受験で上京しましたときに新幹線の食堂車を初めて体験しました。
この時の第一印象は、値段が高い!!でした。1番安いメニューでサンドイッチが1000円くらい、次に安いのがカレーでした。それ以外は高くて手が出ませんでした。
しかし、新幹線食堂車で風景を見ながら食べるのは格別でした。

 

2000年(平成12)3月には新幹線の食堂車も営業を停止し、持ち帰り形式のカフェテリアや自動販売機に切り替えられ、2003年にはカフェテリアも廃止されました。

 

・・・ということで5月25日は
日本で初めて食堂車が走った日です。