1934年(昭和9年)11月1日、満洲の地で
画期的な特急列車、あじあ号が運転を開始しました。
(東洋に於ける陸の王者と呼ばれた あじあ号)
あじあ号は、南満州鉄道が開発した当時世界最高水準の列車で、日本の租借地である関東州の大連駅と、満洲国の哈爾濱駅間の約950 kmを運行していました。
デビュー当時は「東洋に於(お)ける『陸の王者』」と言われていました。
(出典:全満洲名勝写真帖8ページ:昭和12年:松村弘文堂出版:国立国会図書館アーカイブス:https://dl.ndl.go.jp/pid/1207357/1/8)
(速さが自慢)
あじあ号は、超特急とも呼ばれ、当時最新鋭の技術を駆使し、空気抵抗を減らした、
流線形のパシナ形蒸気機関車です。
あじあ号は、南満州鉄道連京線の大連~新京間701.4kmを8時間30分で走ります。
その速さは、それまで急行「はと」が10時間30分かかっていた区間を2時間短縮しました。
また大連~新京間のあじあ号の表定速度は、82.5kmで日本の特別急行「燕」の表定速度である69.55km/hを上回ります。
下は1937年(昭和12年)頃の大連駅です。現在でも通用するモダンな作りです。
(豪華列車:あじあ号)
あじあ号は、当時の最高水準の豪華列車でもあり、いたるところで贅沢さを見ることができます。
流線型の客車は、日本内地の国鉄のサイズよりも大きく、ゆったりと余裕があります。しかも当時としては凄く珍しい冷暖房完備の固定式窓でした。当時はようやくアメリカの列車にエアコンを装備した物が出始めた頃でしたが、すでに、あじあ号では、冷暖房のエアコンが装備されていました。
また、あじあ号には、食堂車も連結していて、定員36名で二人掛け、四人掛けのテーブルがぞれぞれ六つ配置され、当時としては凄くハイカラです。
内装や作りが、実に豪華です。
また、美しい金髪のロシア娘のウエイトレスによる、温かいおもてなしも評判でした。
最後尾の7両目は展望車です。
展望サロンには曲面ガラスが使われ豪華なソファが置かれていました。
(1943年:昭和18年2月28日運行休止)
このように満鉄の最高技術を集めた、当時世界最高レベルのあじあ号ですが、戦争の激化で1943年(昭和18年)2月28日に運行を休止し、そのまま終戦を迎えます。
(当時の写真が無料で見れます)
1937年(昭和12年)に松村好文堂から出版された全満洲名勝写真帖に、あじあ号の写真があり、現在は国立国会図書館のアーカイブスで、誰もが無料で見ることができるのでリンクを紹介します👇
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・・・ということで、
11月1日は、あじあ号が運行を開始した日です。