皇紀2600年:1940年(昭和15年)6月26日、
満州国皇帝の溥儀が、
皇紀2600年を祝福するために
2度目の来日をします。
このとき、東京駅のホームには
昭和天皇が自ら迎えに来ます。
天皇が外国の元首を自ら迎えに来るのは
超異例であり、歴史上、溥儀が唯一です。
(満州国皇帝溥儀)
1932年(昭和7年)3月1日に中国東北部の満州に、満州国が建国されます。
清朝、最後の皇帝だった溥儀は、満州国建国の2年後の1934年(昭和9年)3月1日に満州国皇帝となります。
溥儀は、皇帝就任の翌年1935年(昭和10年)4月6日に初来日し、各地で大歓迎を受けます。
(6月26日満州国皇帝・溥儀、2度目の来日)
初来日から5年後の1940年(昭和15年)、この年は皇紀2600年に当たることから
満州国皇帝溥儀は、祝福のため2度目の来日を果たします。
大連港から日本海軍の戦艦「日向」に乗船し日本に向かい6月26日朝、横浜港に到着し、4号岸壁に上陸します。
横浜港到着後、臨港駅プラットホームから御召列車に乗り、10時45分に東京駅に向けて出発します。
そして11時半、溥儀が乗った御召列車は東京駅第3ホームに到着します。
東京駅に溥儀一行が到着した際には、昭和天皇自らが東京駅のホームまで溥儀を迎えに来ています。天皇が外国の元首を迎えに行くという事は、日本の歴史上無い異例の歓待であり、現在まで例がありません。
そして溥儀は専用車に高松宮御殿下と同乗し、今回の来日時の宿舎所となる赤坂離宮へと向かいます。
(ちなみに初来日の時は、馬車で赤坂離宮に移動しています。)
溥儀はこの赤坂離宮に6日間滞在し27日は靖国神社を、28日は首相官邸を訪問、29日は日比谷公園での歓迎会と皇太后の歓迎レセプションに参加します。
6月30日には満州国駐日全権大使が主催する歓迎会も催されました。
溥儀は、7月1日に天皇主催の歓迎レセプションに参加したあと、2日からは東京を離れ伊勢神宮参拝なども行います。
溥儀の車両は、7月2日に東京から京都に向かう途中と、7月3日に京都から伊勢神宮への往復時に、大津駅を通過しています。この時、大津市長を務めていた堀田義次郎は、広子夫人とともに大津駅で溥儀を出迎えています。
(帰路)
そして、7月6日、神戸港から警衛艦「朝雲」に乗艦し途中、御召艦「日向」に乗り換え、溥儀は帰国の途に就きました。
・・・ということで6月26日は
満州国皇帝溥儀が2度目の来日をした日です。