日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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8月23日、スターリンが日本軍捕虜のソ連国内への移送を指令(シベリア抑留のはじまり)   

1945年(昭和20年)8月23日、
ソ連スターリン
「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づき、
日本軍捕虜50万人をソ連内の捕虜収容所へ移送し、
強制労働を行わせる命令を下します。
いわゆるシベリア抑留です。
シベリアをはじめとするソ連領内の各地へ連行された日本の軍人・軍属は、マイナス30度を下回る厳しい環境で強制労働を強いられた人もいました。
厳しい自然環境に加え衛生環境や食料事情も悪いため、飢えや病気などが原因でおよそ6万人が命を落としました。

(戦争で荒廃し労働力も不足したソ連

戦争に敗れソ連軍に投降した多くの日本兵や民間人は、「トウキョウダモイ」(東京へ返してやる)と言われました。しかし日本へ送還されることなくソ連全土の1200か所にある強制収容所ラーゲリへと送られます。

 

ソ連第二次世界大戦で、大きな損害を受け、同時に多くの国民も失いました。戦後の復興と、その復興を担う労働力が不足していたため日本人捕虜を安価な労働力として
利用したのです。

ラーゲリでの過酷な日々)

日本人捕虜が送られた強制収容所ラーゲリは、シベリアだけでなく、カザフスタンウズベキスタンなど中央アジアにもあり、60万人が収容されたと言われています。

ラーゲリの多くは、粗末な丸太小屋で、ここでは寝具も不十分で、食料も粗末でした。

 

また、強制労働も、氷点下を下回る過酷な環境の中で、森林伐採や炭鉱の採掘、鉄道建設といった重労働を従事させられました。

こうして、過酷な労働、劣悪な食料事情のため日に日に痩せ細り栄養失調で亡くなる
抑留者が多くいました。また不衛生な衛生状況で、赤痢コレラといった伝染病も発症し、それで命を落とす人もいました。

(シベリア引き揚げ者)
おっさんは子どもの頃、シベリアから引き揚げてきた赤司さんという方に話しを聞きました。赤司さんは陸軍獣医だった父(大正10年生まれ・故人)の酒飲み友達で、しょっちゅう我が家に飲みに来ていました。しかし、当時、おっさんは小学生だったので、この赤司さんから真剣に話を聞くことがなく、その赤司さんも他界されました。
非常におしいことです。

(少なくとも5万5千人が命を落とす)

厚生労働省の発表では、終戦後、満州樺太、千島から約57万5千人の軍人等がシベリア等に強制的に抑留され、約55,000人(うちモンゴル約2,000人)が死亡したとみられ、473,000人(うちモンゴル約12,000人)が帰還したとなっています。
この数字は、厚生労働省がロシア政府等から提供された抑留中死亡者の名簿について、日本側資料との照合調査を行い、名簿に登載されている死亡者が特定できた分です。
実際にはまだ死亡が確定されていない日本人が多数います。↓

 

シベリア抑留は、
当事のハーグ陸戦法に違反した
国際法違反行為」であり、
日本が受諾したポツダム宣言にも違反している
甚大な人権侵害でもあります。

舞鶴引き揚げ記念館)

日本海側にある京都の舞鶴港は、主に旧満洲朝鮮半島やシベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となり、1945年(昭和20年)10月7日に最初の引揚船“雲仙丸”が入港します。以後1955年(昭和33年)9月7日の最終引揚船“白山丸”の入港まで約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れてきました。

その舞鶴には、舞鶴引き揚げ記念館があり、ここには抑留された方々の生活が再現されています。

 

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ロシアは、1993年(平成5年)に、
当時のエリツィン大統領が

日本を公式訪問した時、
抑留を「非人間的な行為だった」と認め、
日本側に謝罪しています。

 

8月23日に決まった抑留。

厚生労働省が確認したシベリア抑留死亡者数は
約55,000人。
これは東京ドームのキャパと同じです。
つまり、あの東京ドームを満員にする規模の人が
亡くなったのです。