福岡市営地下鉄の大濠公園駅から降りて福岡県護国神社に行く途中の道路沿いにある
人物の銅像を発見しました。
広田弘毅(こうき)の像です。
(福岡市に生まれる)
弘毅は、福岡市に、石工の広田徳平とタケの長男として生まれました。
学生時代から頭脳明晰で外務省に入省したあとは、駐ソ連大使や外務大臣を経て、
1936年(昭和11年)3月には総理大臣に就任します。
これは福岡県人として最初の総理大臣です。
その後も、近衛内閣では外務大臣に就任しています。
(東京裁判で死刑、そして処刑)
太平洋戦争後に始まった極東国際軍事裁判(東京裁判)で広田弘毅は、文民にも関わらずA級戦犯として起訴されます。
そして、第二次世界大戦における、日本国の大陸、南方への侵略の罪に問われ、死刑の判決を受けます。
「広田は太平洋戦争を止めようとしていた」という印象があるにもかかわらず、東京裁判での死刑判決に対し多くの疑問の声が上がります。
占領下で、占領軍の決定に対する反対運動などがほとんど見られなかった時代ですが、「広田の死刑」を減刑するように全国から数十万という署名が集まったそうです。
また、最終弁論で「彼らは誰一人として、人類の品位というものを尊重していない」と東京裁判の被告人達を罵倒した連合国の検察側・首席検事のジョセフ・キーナンですら「なんという馬鹿げた判決か! 終身刑までではないか!」 と話したそうです。
しかし極東軍事裁判では、自分をかばうようなことは一切せずに沈黙を貫いた広田弘毅は、1947年(昭和23年)12月23日に、巣鴨刑場で死刑執行となり命を落とします。
70歳でした。
東京裁判については下の記事をご覧ください。
いかに勝者による一方的な不公平裁判なのかがわかります。
現在、福岡市の大濠公園には、新藤一馬元福岡市長から贈られた広田弘毅の銅像や石碑があります。
像の裏には文字が掘られていましたが、残念ながら解読できませんでした。
ちなみに文化勲章は、広田弘毅が総理在任中に創設したものです。
<<広田弘毅像に行くには>>
東京裁判での理不尽な扱いにも関わらず
一切反論せず。。。
広田弘毅、素晴らしい方です