1945年(昭和20年)9月17日、
満州国北安省にある瑞穂村開拓団で集団自決があり、
495人が命を落とすという大惨事が起きました。
(ゆけ満州へ!)
1932年(昭和7年)に満州国が建国されると、日本から満蒙開拓団が送りこまれ、敗戦までの14年間に27万人が移住しました。
(瑞穂村誕生)
1934年(昭和9年)に、第3次試験移民として、現在の中国黒龍江省のソ連国境に近い草原地帯に入植し瑞穂村が作られました。
瑞穂村は全国各地の22県からの出身者からなる、混合開拓団で1945年(昭和20年)8月には入植者は1056人でした。
(ソ連参戦から始まった地獄)
1945年(昭和20年)8月9日、ソ連は日ソ中立条約を破り参戦します。
このとき満州各地にあった開拓団は、徴兵によって成年男子がおらず、女性や子供ばかりとなっていました。
そこをソ連兵や中国人、朝鮮の人々が襲撃をします。日本人の多くが掠奪に会い、日本人の土地や財産が奪われたり、婦女子が暴行を受けたり、死に追いやられるという惨劇が繰り返されます。
(瑞穂村での集団自殺)
瑞穂村も同様で、男性が動員されていたため村には老人と幼児、そして婦女子だけが、取り残されていました。情勢が不安定で治安が悪く、匪賊による襲撃が相次ぎます。
また、村の治安を守るとして中国人の組織がやってきては、弱みに付け込んで村人から物品をどんどん要求していきます。
このように、瑞穂村はどうすることもできない状況に追い詰められます。
1945年(昭和20年)9月17日未明、この惨状に悲観した村人は自殺を決意し、全員に青酸カリが渡されます。
最初は子どもから服毒自殺をはかります。死にきれない人には年配の男性が刀で切りつけ殺害しました。そして家屋に火が放たれます。
この集団自決で495人が死亡します。翌年の5月、ハルピンで生存が確認されたのは,
わずか71人だったそうです。
|
・・・ということで9月17日は、
満州国瑞穂村で集団自決が起きた日です。
亡くなられた方の御冥福をお祈りします。