(百舌鳥古墳群)
堺市には4~5世紀の大和朝廷時代には、仁徳天皇陵古墳をはじめ、100数基から成る百舌鳥古墳群が造られました。この百舌鳥・古市古墳群は世界文化遺産に認定されました。
(自治の町・環濠都市)
堺は、戦国時代には、対明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として発展し、環濠都市を形成します。
また、当時の最新兵器である鉄砲を数多生産する兵器生産の中心地でした。
そして、会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる有力商人たちにより自治的な都市運営が行われる自治都市として繁栄しました。
(ザビエル訪問)
1550年には、宣教師ザビエルが訪れます。ザビエルは、堺の豪商・日比屋了慶(ひびやりょうけい)に手厚くもてなされます。それにちなんで、ザビエル来航400年にあたる1949年(昭和24年)に日比屋了慶の屋敷跡付近にザビエル公園が作られます。
海外との貿易で巨万の富を築く堺商人も現れます。大河ドラマの主人公になった呂宋助左衛門もその1人です。
(有力大名が次々と・・)
海外との交流拠点として発展していた堺市を、織田信長は、支配下に置き、貿易の利益を得ます。
1582年に織田信長が亡くなった後には、豊臣秀吉、さらに徳川家康が堺市を支配し、
利益を得るとともに堺市の発展にも貢献します。
堺は、1586年に秀吉によって堀が埋められます。港に砂が流れ込んだために船が停泊できなくなり、港としての機能が失われます。
そして1615年の大阪夏の陣、堺焼き討ちで豊臣方によって焼けつくされます。
その後、江戸時代になり、元和の頃に復興され現在の町割ができます。
1877年(明治10年)には、港に木製の灯台が作られます。これは現存する最古の木製洋式灯台の1つです。
そして、南海の堺駅の前には堺が生んだ与謝野晶子の像があります。
明治後期の堺・大浜公園の写真です。
【出展:近畿名勝写真帖、続(明治34年刊行):国立国会図書館デジタルコレクションよりhttps://ndl.go.jp/scenery/kansai/data/101/index.html?type=map_n&p=osaka-fu 】
そして大正初期の堺の様子です。
【出展:「大阪府写真帖(大正3年発行):国立国会図書館デジタルコレクションより
https://ndl.go.jp/scenery/kansai/data/104/index.html?type=map_n&p=osaka-fu 】
古墳に港町・・堺は歴史と風情がある町でした。