この灯台、良い雰囲気ですよねえ・・。
海とあわせて 風情がありますよねええ・・・。
絵になりますよねえ・・・。
これは、大阪府堺市堺区大浜北町5丁、大浜公園の先にある高さ11.3メートルの木製洋式灯台跡・旧堺灯台です。
1877年(明治10年)に作られた現存する最古の木製洋式灯台の1つでもあります。
木は白く塗られています。中には入れませんが、年に1度ほど公開される時があります。
(江戸時代から続く灯台)
戦国時代、商人の街として栄えた堺市、江戸時代の1689年には、商人の寄金で初めて
灯台が建築されました。
その後、1877年(明治10年)に洋式燈台が作られるまで7期にわたって位置を変えながら灯台が造られてきたと伝えられています。
(町民の寄付で完成)
明治に入り、堺港の改修が行われました。
このとき住民からの募金で防波堤の増築が行われ、それと同時に洋式燈台の建設も計画されました。
土台の石積みは、堺旧港の港湾整備と併せて備前国(現在の岡山県)出身の石工・継国真吉が担当し、建築工事は、堺在住の大工・大眉佐太郎が行いました。
また、灯部の点灯機械の取り付けは、横浜の燈台寮よりフランスのバービエール社の
機器の購入を行い、英国人技師ビグルストーンが携わりました。
この旧堺燈台は、その建設費用には、築造費が2,125円20銭5厘、器械据付費が360円82銭3厘がかかりました。
この灯台は、対外条約に基づく他の官設燈台とは違って、資金や技術の多くを堺の住民の寄付によるのが特徴です。
また堺燈台の形は、六角形ではなく、当時の官製燈台の標準形である八角形を準用しています。
建築当初の内部の塗装は「木目塗」(もくめぬり)という手法で塗装した上、さらに
ワニスで仕上げが行われていたようです。
ペンキ塗りが落成したため、旧堺灯台は、1877年(明治10年)9月15日から正式に
点灯され、操業が始まりました。
【上記2つの写真はいずれも旧堺灯台にあった案内板より】
長年、堺の港を照らし続けてきた灯台ですが、1959年(昭和34年)からはじまった臨海工業地帯の造成で海岸が埋め立てられました。
そのため、旧堺燈台は大阪湾を航行する船から見えないようになり、1968年(昭和43年)には、その役目を終え廃灯となりました。
その後、1972年(昭和47年)7月12日に国の史跡に指定され、文化財として保護されています。
(実施に歩いてみると・・)
この風情ある木製の灯台、しかも現存する日本最古の灯台の1つと言うことで、現地を訪れましたが、大浜公園から意外と距離があって、本当に燈台があるかどうか不安になります。
結構歩きますよ。
しかし、実際に見てみると、青い海、青い空に白い灯台が似合います。
ここから夕陽が海に沈んでいくのが見れ、風情です。
【観光堺ガイドに書かれた旧堺灯台】
<<旧堺灯台を見に行くには>>
100年以上前に作られた
この日本最古の木製灯台、
堺の港の変遷を見続けてきたんでしょうね。