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大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレ,あらすじ 40話「天下人家康」

第40話は「天下人家康」世帯平均視聴率11・1%でした。家康と三成の対立が生まれ深まる話です。

では、あらすじを見ていきます。

(太閤死後、うまくいかない・・)
太閤秀吉が死去し、日本軍は朝鮮から撤退を開始します。
また、政治の世界では、秀吉の遺言に従い、政治を文官である「五奉行」と、有力大名の「五大老」で構成された「十人衆」がスタートします。豊臣秀頼が成長するまでは、この10人が話し合いをしながら代わりに政治を行う、というのです

三成は「合議によって政をなす」ことを目指します。
しかし毛利輝元上杉景勝は、諸大名の中で最大の250万石を領有する家康の存在を危惧します。飛びぬけた力を持つ者がいれば、その者の考え一つで物事が決められてしまうことになると警戒します。
さらに「人の心には裏と表があるものぞ。徳川殿は狸と心得ておくがよい」と忠告し、三成に家康に対する疑念が芽生え始めます。

(しくじり・・)

慶長3年(1598年)11月、朝鮮からの撤退が始まり博多の港に次々と軍船が帰港します。加藤清正黒田長政らも朝鮮から戻りますが、その顔には疲労感や悲壮感が漂っていました。
三成は、彼らをねぎらおうと「とりあえず体を休ませるがよかろう。戦のしくじりの責めは不問といたしますゆえ、京に帰ったら盛大な茶会を開いて・・」と声をかけます。

しかし、「しくじり」という言葉が、彼らの怒りをよび起こします。
三成は、敵地朝鮮で戦地で辛酸をなめて戦った彼らの気持ちや思いを理解できていなかったのです。
また、彼らは、三成が秀吉の死を隠蔽した事にも不満を抱いていました。
そこで加藤たちは伏見城に出向き、三成に責めを負わせるよう家康と利家に直訴します。
しかし、利家は「治部らに任せたのは殿下のご遺志。軽挙妄動することあらば、この前田利家が許さん。よいな!」と叱咤し、家康も彼らをなだめます。
結局、武将たちは不満を抱きながら帰っていきました。

 

豊臣家中を一つにまとめるのも役目であると、寧々は三成に一同に詫びを入れるように助言しますが、三成は、間違ったことはしていないと譲りません。
寧々は「治部がうまくできなければ…その時は力ある者にやってもらうほかないと、私は思うておる。」と家康に期待をします。

 

(秀頼・茶々大坂城入り)
慶長4年(1599年)秀吉の遺言により、豊臣秀頼、母親の茶々が大坂城に移り住みます。三成は茶々から「あのお方(家康)は平気で嘘をつくぞ」と耳打ちされます。

 

(深まる対立)
一方、家康が福島正則などとの縁組の話を進めているという噂がたち、その審議のため、五奉行が家康を除く四人の大老を呼び集めます。
この行為は、勝手に婚姻を結ぶことを禁じた秀吉の置目を破ることになり、さらに家康は天下簒奪の野心ありと考える者も現れます。ここで利家だけが家康をかばいました。

こうした家康の態度に対し、三成は、家康に謹慎処分を下します。

しかし、家康は今回の行動は、あくまで奉行衆を助けるためのものであると言い、家康は秀吉の遺言に忠実であると正信も言い添えます。
さらに、もし家康に懲罰を課せば、血気盛んな徳川家中が黙っていないと暗に脅しもかけます。

戦になる恐れを回避するために前田利家は、家康に一筆書けと三成に進言しますが、納得できぬ三成は、その場を立ち去っていきました。

 

(すれ違い)
家康はひそかに三成を屋敷に呼び、今回の事を詫びます。
さらに今の形の政は困難であり、政務を執る覚悟があること、これは天下太平のためのやむを得ぬ判断だと、伝えます。
しかし三成には、この考えが家康が自己保身に走っているとしか見えず「狸…皆が言うことが正しかったようでござる。天下簒奪の野心あり、と見てようございますな。」と冷たく言い放ちます。

その後、家康は病床の利家を訪ねます。利家は「皆、貴公が怖いのよ…今川義元のもとで育ち、信長、信玄、勝頼、秀吉と渡り合ってきた家康は、多くの者にとって神話に出てくるオロチと同じ存在なのだと」言い家康に腹を括るしかないと伝えます。

このひと月後、前田利家はこの世を去ります。

利家の死で、石田三成の「文治派」と、加藤清正の「武断派」との対立が強くなります。

 

(もう同じ星は見ない)

1599年(慶長4年)、武断派の諸大名が、石田三成を襲撃するという事件が勃発します。

この大騒ぎは、家康が、何とか鎮めます。三成は、この騒動の責任を取ってすべての政務から身を引き、所領である近江佐和山に隠居することを決意します。
しかし、三成は「納得はしておりませぬ。私は間違ったことはしておりませぬ」と家康に言い放ちます。

家康は、三成に「佐和山を訪ねてもようござるか?また夜空を眺め、二人で星の話をしよう。」と伝えますが、三成は、「ご遠慮願いとうござる。私と家康殿は、違う星を見ていたようでございますゆえ。…もうお会いすることもございますまい。」と。きっぱりと断わります。
もう2人の亀裂は決定的となりました。去って行く三成を、家康は寂しそうに見送ります。

覚悟をもった家康は伏見城に入り、一同を見渡し「天下の太平乱す者あらば、この徳川家康が放っておかぬ。よろしいな。」言います。家康も動き出します。

(次回に続く)