日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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日本初の鉱毒問題を起こした足尾銅山の現地を訪問!

栃木県の足尾銅山に来ました。

★当ブログに掲載している写真のうち、当時の写真に関しては、田中正造記念館に御協力を頂きました。有り難うございます。

渡良瀬川の最上流部の栃木県日光市足尾町にある足尾銅山
かつてここは日本の産銅量の40%を算出する日本一の大銅山となりましたが、同時に
足尾鉱毒事件と呼ばれる大きな公害問題を引き起こしてしまいました。
この足尾鉱毒事件は、明治中期以降に発生した日本最初の公害です。

 

(日本の4割の銅を産出)
足尾銅山は、江戸時代の初めの1610年に発見され江戸幕府直轄の鉱山として採掘が開始されることになりました。
1881年明治14年)以降、鉱脈が相次いで発見され、1905年(明治38年)3月に、古河鉱業の経営となり、本格的な操業が始まります。

(1895年:明治28年頃の足尾鉱山)

(発展とともに公害問題も浮上)

しかし、足尾銅山が大きくなるとともに次第に公害問題も発生していきます。
公害は大きく分けると水質汚濁と煙害の2つです。

(水質汚濁)
足尾銅山の坑道から湧き出る硫酸銅等を含む有毒な地下水が、渡良瀬川に流れ込んでいきます。

と同時に選鉱や精錬過程で出た大量の廃石等が渡良瀬川に投棄されることで、硫酸、鉛、亜鉛、砒素、銅、カドミウム等が入り込み、魚類が絶滅します。
また、その水を使っていた水田などの農耕地も荒廃していきます。


(煙害)
また、足尾銅山では、銅が製錬される課程で毎日排出される亜硫酸ガスを含む煙のせいで林野が枯死していきます。


(洪水で被害が拡大)
同時に工場の稼働に必要な燃料として森林の乱伐が進み、木がなくなりはげ山になり。山の保水能力が失われ、大洪水を引き起こします。

そして洪水がおきるたびに鉱毒の被害が渡良瀬川利根川流域の広い範囲に拡大していきました。

1890年(明治23年)に起きた洪水で、足尾銅山の公害問題は知られるようになります。

田中正造の活躍)
足尾銅山の公害に対し栃木県の衆議院議員田中正造の議会での演説などの活動を行います。さらに1901年(明治34年)12月には、田中正造天皇への直訴をおこします。

(公害対策)
高まっていく足尾銅山に対する運動に対し、日本政府も動きだし、鉱毒予防工事を命じます。
しかし洪水は繰り返され、また技術的な限界から煙害対策が十分にできず、さらに運動の中心人物の田中の死などで運動は衰退していきます。

煙害は1956年(昭和31年)に、ようやく技術が確立し解決しました。そして足尾鉱山は1973年(昭和48年)に採掘を停止しました。

 

現在、足尾鉱山があった場所は、足尾銅山観光に生まれ変わり、足尾銅山の歴史を伝えています。

 

日本初の公害・足尾鉱毒問題からおよそ100年・・。
足尾の山には、緑が戻っていました。