2023年(令和5年)のNHK大河ドラマ
「どうする家康」ついに最終回です。
最終回「神の君へ」。そのストーリーを見てみましょう。
(濠が埋まった大坂城に浪人たちが集結)
カルバリン砲による攻撃によって大坂城の天守閣が崩壊し、茶々は徳川との和睦に応じます。こうして大阪冬の陣は、家康方の勝利で終了します。
カルバリン砲が発射されたと推測される場所に行きました。下をクリックして御覧下さい。
その後、秀頼が大坂に滞在することと引き換えに、大阪城の濠を埋めることで和議が成立します。
しかし、豊臣と徳川の対立は収束せず、大阪城には、浪人たちが集まり続け、やがて秀頼は、徳川と戦うことを決意します。
(秀頼、国替えを拒絶)
1615年(慶長20年)3月、京で牢人たちが乱暴なふるまいを行ったり放火をしていることから、家康は秀頼に国替えを命じます。しかし、秀頼はこれを拒否します。
(大坂夏の陣)
4月、家康は、20万人の兵を集めて大阪城を取り囲み自ら前線に立ちます。大坂夏の陣です。兵の数で劣る豊臣方は家康の首を取ることを目標とします。
この戦いでは、真田信繁が奮戦し家康に接近しますが、そこまで・・・。
濠が埋められた大阪城は丸裸状態で、戦況は徳川優勢で進みます。
大坂城を脱出した秀頼の正室で、家康の孫娘である千姫は、茶々と秀頼の助命を訴えますが、家康は受け入れません、この非常な対応に千姫は「父上もおじいさまも、鬼じゃ。鬼じゃ。」と言います。
やがて大阪城に火が上がります。燃える大坂城では、秀頼、茶々が自害し豊臣家が滅亡します。1615年5月8日のことです。
現在、大阪城には秀頼・淀君自害の碑があります。その様子は下をクリックして御覧下さい。
(秀頼の息子・国松も斬首)
5月23日には、ドラマでは触れていませんが秀頼の息子・国松(8歳)がつかまり、処刑され、これで豊臣の男系の血が途絶えます。その模様は下をクリックして御覧下さい。
そして、戦乱が終了しようやく安定した世の中を迎えます。
そして家康は、1616年(元和2年)4月17日に75年の生涯を閉じました。
こうして大河ドラマ「どうする家康」も終了です。
(おまけ)