どうする家康39話のタイトルは「太閤、くたばる」・・
いやはや なんというタイトル!!
視聴率は10.4%でした。
では、ストーリーを見ていきます。
(秀頼のため秀次一族皆殺し)
長男の急死で落胆していた秀吉ですが、茶々が第二子を産んだことで回復しました。
大阪に戻った秀吉は、次男の拾(ひろい)と対面し、抱きかかえようとした瞬間に恐怖におびえる表情を浮かべ「この手は、多くの人を殺めてきたで触れない」と言います。そして、この次男に粗相をしたら、誰であろうと成敗してよい!と言います。
跡取りとなる拾の邪魔になるものは、どんな人物であっても排除するという考えを抱いた秀吉は、関白を継いだ甥の秀次を自害に追い込みます。
三条河原において秀次の首は晒され、秀次の首が据えられた塚の前で、秀次の遺児(4男1女)及び側室・侍女らおよそ29名が処刑されました。
(明との和睦案も・・)
秀吉は、明国との和議の話をしますが、秀吉が作った7ヶ条の和議状の内容は、「明国の皇女を天子の妃に」「朝鮮王子を人質に出させる」「朝鮮の南半分の領地を得る」などという到底、明国が受け入れることができない内容になっていました。
小西行長らは皆の意見も聞いてほしいと言いますが、秀吉は「最大の譲歩」だとして他の案を受け付けません。
頭を抱えた石田三成は、家康に相談にきました。この席で三成は力ではなく、知恵を出し合い合議で話し合って政を決めていくシステムを作りたいことを家康に打ち明けます。
(最後の海老すくい)
文禄4年(1595)、家康と於愛の間に生まれた子供で、のちに二代将軍になる秀忠は、豊臣家と徳川家の強い結びつきを求める秀吉の強い要望で、茶々の妹の「江」と結婚しました。
そして家康は京で隠居している酒井忠次のところに寄りました。70才を超える酒井忠次は、目が不自由になっていましたが、それ以外は元気です。
忠次は、「本物を見たい」という秀忠の願いで、最後の”海老すくいを披露しました。そして秀忠、直政、家康も一緒になって踊ります。
(天下をおとりなさい)
その後、家康と忠次は、久しぶりに2人で話します。
家康は、かつて信長が言った、安寧な世をおさめるのは、乱世を鎮めるよりはるかに難しいと言う言葉を思い出します。
酒井忠次は、家康を抱きしめて「ここまで、よう耐えましたな。辛いこと。苦しいこと。よくぞ乗り越えてこられた。殿が辛抱強くおったから、徳川は生き延びられたのです。1つだけ願いを言い残してようございますか。天下をおとりなされ。秀吉を見限って、殿がやりなされ。」と言います。
家康は「天下人は、嫌われるばかりじゃ。」と答えます。
その3ヶ月後の雪の日。忠次が鎧を着て戦に出ようとすとき忠次は息を引き取ります。
(第二次朝鮮出兵)
文禄5年(1596年)、明国から和議の返事が来ますが、それは小西行長らが、作った偽物でした。
その事実を知って怒り狂う秀吉に、家康と三成は、唐入りについては考え直すべきだと進言します。秀吉は、家康に負けた長久手の戦いのことを言い、戦は勝てなくても利を得ることができる。頭の中には策が無限にあるから任しておけと言います。
慶長2年(1597)6月、秀吉は第二次朝鮮出兵をします。
家康が詰めている伏見城には、兵士たちが次々と壺や桶を持ってやってきます。それは敵の鼻や耳を切ったもので、手柄の証明とするものでした。秀吉は「歯向かうものは、皆殺しにせよ。」と言いますが、朝鮮軍に強い抵抗にあいます。
(話し合いによる政)
秀吉の次男で跡取りの拾は5歳で元服し名を秀頼に改めました。
秀吉は石田三成に「秀頼は、あまりに幼い。わしが死んだあと、誰が天下人になる?」と聞きます。すると三成は「天下人は無用と存じます。豊臣家の忠義と知恵ある者で政をすすめるのが最もよきことかと。」と答え秀吉も合意します。秀吉の合意を得た三成は家康や前田利家に協力を求めていきます。
(秀吉と家康)
病状が悪化した秀吉は、家康を呼び出し、死にそうな顔で「秀頼を頼む。世の安寧など知ったことか。天下などどうでもいい。ただ、秀頼が無事に暮らしていけるなら、それでええ。どんな形でもええ。秀頼だけは頼む。天下はどうせ、おめえにとられるんだろうよ。」と家康に言います。
家康は「そんなことはせん。治部殿のことを支えます。」と言いますが、秀吉は「そんなものは、うまくいくはずがねえ。お前もわかっておるだろうが。そんなものは、うまくいかねえって。豊臣の天下は、わし一代で終わりじゃ。あとは、お前がどうにかせえ。」と。
家康は「信長の天下を引き継いだのは、そなたである。まことに見事であった。二度と戦乱の世には戻さん。あとは、任せよ。」と言います。
(秀吉の死)
病に苦しむ秀吉、その側には茶々がいました。吐血しながら鳴らそうとする秀吉に対し、茶々は呼び鈴を遠ざけ「秀頼は、あなたの子だとお思い? 秀頼は私の子。天下は渡さん。あとは私に任せよ、猿。」と言います。
ここに、小さい頃から戦国の渦に巻き込まれ翻弄されてきた茶々の本心が姿を現します。
そして、秀吉は死去します。
辞世の句は、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」。
(天下人になるか!)
家康はその日、眠れないまま星を見上げていました。そして、酒井忠次に最後に会った日に言われた言葉を思いだします。
「信長にも秀吉にもできなかったことをこのわしにできようか。」
「殿だからこそできるのです。戦が嫌いな殿だからこそできるのです。嫌われなはれ。天下をとりなされ。」
ようやく、ようやく家康の天下取りが始まろうとしました。
(つづく)