日本本土を焼け野原にしたB29,
そのB29の最多撃墜記録を持つ戦闘機乗りがいます。
日本陸軍のエース樫出 勇(かしいで いさむ)です。
(ノモンハンで5機撃墜)
樫出 勇は樫出は1915年(大正4年)新潟生まれ。1934年(昭和9年)に陸軍少年飛行兵の第1期生となり、1939年(昭和14年)9月には、ソ連軍との間でおきたノモンハン事件に参戦し5機以上を撃墜する戦果を挙げます。
(九州の護りに)
樫出 勇は、1940年(昭和15年)に飛行第4戦隊(小月)に転属します。基地の近くには、北九州があり、ここには日本の工業の要である八幡製鉄所がありました。
樫出は、飛行第4戦隊で、双発の二式複座戦闘機「屠龍」を愛機とし本土防衛にあたります。
屠龍は、空中戦用に操縦席と後部座席の間にホ5(二式二十粍固定機関砲)2門を、斜め上向きに装備しています。
(B29日本本土初空襲で迎撃)
1944年(昭和19年)6月16日のB-29が日本本土初空襲を行います。下の新聞はその様子を報じたアメリカの新聞です。八幡製鉄所を日本のピッツバーグと表現しています。
このB29日本本土初空襲では、B29は八幡製鉄所、小倉造兵廠などを2時間、攻撃しています。日本軍の発表では、撃墜6機(内不確実2機)、撃破7機と報じています。
B29の日本本地初空襲を報じる当時のニュース👇
【B29の日本本土初空襲、被害状況などに関しては、
以下のブログで
当時の写真や米軍資料などとともに記述していますので、ご覧ください👇】
(戦略)
B29を迎え撃つ屠龍、その戦略を紹介します。
超空の要塞B-29は高度1万メートルと屠龍よりも上空を飛行し、また飛行速度も速いものでした。
そのため屠龍は、B-29が通過すると思われる場所で先に上昇して待ち伏せし、B-29が現れたら攻撃をしかけて、攻撃後はすぐに離脱する一撃離脱の戦法をとっていました。
樫出さんの事は本になっています。
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こうして樫出 勇は、九州を中心とした本土防空を行い、終戦までにB-29を26機撃墜しています(日本側発表)。このB29撃墜数は、史上最多です。