2月14日午前11時26分、
陸軍落下傘部隊は、
オランダ領であるインドネシアのスマトラ島の
パレンバンにある飛行場と精油所に降下し占領します。
空の神兵です。
(石油の確保が最重要課題)
戦前、日本は石油の8割以上をアメリカからの輸入に頼っていました。
当時、まだ中東の石油は発見されておらず、世界の主な産油地の1つがアメリカでした。
しかしアメリカが日本への石油の全面輸出を禁止し、太平洋戦争がはじまった時には、日本の備蓄石油は2年分と言われていました。そのため、日本は石油供給基地を確保する必要に迫られていました。
そこで目をつけたのが、オランダ領スマトラ島にあるパレンバンの油田です。当時、パレンバン油田の年間産出量は、日本の年間消費量を上回っていました。
このスマトラ島南部にあるパレンバンには、オランダ植民地時代にインドネシアの大部分の石油を生産していたプラジュ油田とロイヤル・ダッチ・シェル製油所がありました。
(落下傘部隊)
日本の生命線とも言える石油の確保のため、パレンバンの油田と石油施設を、敵が破壊することなく無傷で手に入れる必要に求められました。
そのため落下傘部隊で奇襲し占領する作戦が行われました。
(空の神兵出陣!)
1942年(昭和17年)2月14日朝、日本軍挺進隊(落下傘部隊)は、マレーシア南部にあるカハン飛行場で100式輸送機に乗りこみます。
午前11時26分、落下傘部隊を乗せた100式輸送機は、目標であるパレンバン上空に到着します。
ここで通常高度の半分以下の約200メートルという低空にもかかわらず、奥本中尉を
先頭に0.5秒おきに次々と落下傘降下が始まります。
地上までの降下時間は50秒程度でした。
次々と降下する落下傘、空に広がる落下傘・・。
しかし、地上にいたオランダ・イギリス連合軍との戦闘が始まります。
第一次降下部隊は、パレンバン飛行場に降下。飛行場を制圧します。
第二次降下部隊の90人はパレンバン製油所付近に降下します。
そして、西製油所を午後2時過ぎに、東製油所を15日未明に占領します。
こうして落下傘部隊の活躍で、敵による油田地帯の爆破を阻止して、石油を確保しました。
パレンバン油田は、連合軍が制海権をとり日本本土への石油輸送が困難になるまでの
3年半近く日本に石油を供給し続けました。
|
|
(空の神兵)
落下傘部隊は「空の神兵」と呼ばれ、軍歌になり映画も作られ人気を集めます。
(空の神兵訓練の地を訪れました)
下の写真は、宮崎県川南町にある落下傘部隊が訓練した場所の施設の一部です。
現地・宮崎県川南町に行き、当時の名残を見てきました。
空の神兵訓練の地、現地からの報告は、下をクリックして御覧下さい。
2月14日は
空の神兵・落下傘部隊がパレンバンを占領した日です。