日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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京都島原にある東鴻臚館跡 ~ここで渤海からの使節団をもてなしていました~

 

京都の花街・島原周辺の街歩きをしていると、
道がL字に曲がる角に、ある石碑が建っていました。
東鴻臚館跡と刻まれています。

(外国使節をもてなす京都の接待施設:鴻臚館)
鴻臚館は,外国使節を接待しもてなす施設のことです。
平安時代には平安京大阪難波、福岡筑紫の三カ所にその施設がありました。
福岡の鴻臚館は、大陸や朝鮮半島から距離的に近いために作られたようです。この福岡の鴻臚館は行ったことがあります。

渤海使節団をもてなす京都の鴻臚館)
平安京の鴻臚館は、羅城門北側に朱雀大路をはさんで左京と右京に対称に位置し、.左京の鴻臚館は東鴻臚館、右京の. 鴻臚館は西鴻臚館と呼ばれていました。
ここで、渤海国からの使節をもてなしていました。

(日本と渤海は友好関係)
渤海と日本との交流は、奈良時代の727年渤海使国書と贈り物をたずさえ日本に来航し、翌年に、日本の送使を同行させたことに始まります。
以後、渤海と日本は友好関係にあり、両国は季節風に乗って冬は渤海から日本へ来航し、夏は逆に日本から渤海に向かうコースを取って行き来をしたようです。
こうして渤海から日本への使節渤海使)は727年から930年までの約200年間に34回(諸説あり)ありました。
一方、日本からの遣渤海使は728年から811年までの約100年間で15回です。
渤海から京都に着いた使節団は、鴻臚館で歓迎の出迎えを受け、音楽を奏でたり、詩会などが催されていたようです。
9世紀初めになると鴻臚館は,現在の地に引っ越したそうです。
(平安文学に影響)
来日した渤海使節団は、京都の鴻臚館で歓迎を受けます。
また渤海使節と日本の貴族との間で漢詩文の交換が行われました。この漢詩の交換には、学問の神様の菅原道真も参加しています。このように両国の交流は進み渤海がもたらした文化や教養は平安文学の発展に大きな影響を与えたようです。
(終焉)
しかし、927年に渤海国契丹に滅ぼされます。その後、鴻臚館も消滅してしまいます。
今は京都島原角家の北の角に東鴻臚館跡の石碑と説明板が残るのみです。

<<東鴻臚館跡への行き方>>

JR嵯峨野線梅小路京都西駅から北に5分強
住所:京都市下京区西新屋敷揚屋町(角屋前)

古代の外国との交流、
調べてみると今の日本に影響を与えていて面白いもんです