戦前、中国大陸には、蒋介石の中華民国以外にも
複数の国や政権が登場しています。
(1940年:昭和15年の地図)
下は1940年(昭和15年)、皇紀2600年に発行された中国大陸の地図です。
当時、中国大陸には、中華民国(蒋介石)、満洲国、蒙古連合自治政府、南京政府(汪兆銘)、中国共産党(毛沢東)があり、また、各地に軍閥もありました。
ですから、この時期の中国大陸は、蒋介石の中華民国が全てを支配した統一国家とは言えないようです。
(当時の中国大陸の状況)
1930年の中国大陸には、南京・上海周辺に1927年のクーデターで成立した蒋介石の国民党政府がありました。蒋介石は、上海の銀行資本家、さらにアメリカやイギリスが支援をしていました。
当時の中国大陸は、蔣介石による北伐で、中国国内が統一されたかにみられました。
しかし、実際にはまだ各地に軍閥が存在し、さらに自治政府が複数誕生するなど不安定な状況が続いていました。
時系列に見ると・・・
1931年(昭和6年)11月1日、毛沢東が中国南部江西省瑞金に中華ソヴィエト共和国を樹立 ~1937年(昭和12年)9月22日国共合作で蒋介石の中華民国の指揮下に
1932年(昭和7年)3月1日、満州国が建国
1935年(昭和10年)11月25日、冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)樹立
1936年(昭和11年)5月12日、蒙古軍政府誕生
1937年(昭和12年)9月4日、察南自治政府(さつなんじちせいふ)誕生
1937年(昭和12年)10月15日、晋北自治政府(じんべいじちせいふ)誕生
(日中戦争勃発以降)
1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争勃発
1937年(昭和12年)12月14日 北京に中華民国臨時政府樹立
1937年(昭和12年)12月5日、上海市大道政府樹立
1937年(昭和12年)12月に南京が陥落し国民政府は首都を重慶に
1938年(昭和13年)3月28日、南京に中華民国維新政府誕生
1939年(昭和14年)9月1日、蒙古連合自治政府樹立
1940年(昭和15年)3月30日、汪兆銘が南京に中華民国樹立
・・・・と言う流れです。
(グループにわけると)
ここでグループに分けます
(まず、終戦まで存在した政権・・・)
蒋介石の中華民国
そして満洲には1932年(昭和7年)満州国(~1945年(昭和20年)8月18日まで)
(内蒙古)
1936年(昭和11年)5月12日、蒙古軍政府~1939年(昭和14年)10月28日
1937年(昭和12年)9月4日、察南自治政府(さつなんじちせいふ)~1939年(昭和14年)9月1日
1937年(昭和12年)10月15日、晋北自治政府(じんべいじちせいふ)~1939年(昭和14年)9月1日
この3つが1939年(昭和14年)9月1日合流して、蒙古連合自治政府に合流
蒙古連合自治政府は1940年(昭和15年)には汪兆銘の中華民国の主権下におかれ、
さらに1941年(昭和16年)8月4日には蒙古自治邦政府へと政府名称を変更(~1945年:昭和20年8月19日)
(華北・華南)
1935年(昭和10年)11月25日、冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)
1938年(昭和13年)に中華民国維新政府に合流
1937年(昭和12年)12月14日 中華民国臨時政府(~1940年(昭和15年)3月30日)
汪兆銘の政府に合流
1937年(昭和12年)12月5日、上海市大道政府(~1938年(昭和13年)4月28日)
1938年(昭和13年)中華民国維新政府(~1940年(昭和15年)3月30日)
汪兆銘の政府に合流
1940年(昭和15年)3月30日、北京の中華民国臨時政府と南京の中華民国維新政府を合わせた政権として、汪兆銘が南京に国民政府を樹立。(~1945年(昭和20年)8月16日)
汪兆銘は主席代理となりました。汪は蒋介石と並ぶ中国辛亥革命の指導者でした。
ごちゃごちゃするので表にまとめてみました。
【内モンゴル】
【華北・華中】
(雑誌にみる中国情勢)
1936年(昭和11年)2月24日に発行されたニュース雑誌・TIME。
表紙の下段は、スターリンと蒋介石です。
この表紙の下の部分には4人の説明が英文で表記されています。
その英文表記を拡大すると 日本と満州国には「EMPEROR」の表現です。
しかし蒋介石をみると、「NANKING PREMIER」とあります。
日本語訳をすると「南京の首相」です。中国の首相=CHINESE PREMIER ではないのです!
つまり蒋介石は、中国にある政府の1つの首相だという事を意味しています。
満州国皇帝の溥儀は、満州国皇帝として2度、終戦後は東京裁判の証人として1回の合計3度来日しています。
満州国皇帝時代の2度の来日は、いずれも昭和天皇がみずから東京駅に迎えに行っています。
このように天皇が国家元首をわざわざ迎えに出向いたのは史上初で有り、溥儀が唯一です。
・・・・ということで、
1930年代から40年代にかけては
中国は1つというわけではなく
色々な政権が誕生しています。
それを踏まえて当時の亜細亜情勢を考えると
色んな発見があります。