日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ 光る君へ 第33話「式部誕生」ネタバレあらすじ 

平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。
数十年と大河ドラマを見ている立場から言うと、この「光る君へ」は、合戦や戦闘シーンが少ない「変化球」であり、平安時代の宮中を舞台にした恋愛ドラマです。

それでは、あらすじを見て行きましょう。
藤壺
1005年(寛弘2年)12月29日。まひろは、中宮・彰子が暮らす藤壺に住み込みで働き始めることとなり、女房たちに挨拶をします。

彼女は “藤式部”と呼ばれ、物語を書くのが任務です。そのため藤原道長と倫子のはからいで藤壺の中に小部屋を与えられます。
藤壺で彰子に仕える女房の中には、高貴な身分の姫たちもいるため、身分が低いまひろが、一条天皇のために物語を書く特別な職に就くことに反感を抱きます。
(集中できない)
藤壺の中で、まひろは、物語の続きを書こうとしますが、他の女房たちが彰子の身の回りの世話や内裏の公卿との取り次ぎのために忙しく行き交り、ざわついていて文筆業に集中できません。

そこへ藤原公任藤原斉信がやってきて「女房たちは育ちが良すぎて頼りにならない」と言います。まひろは「わたしのような地味でつまらぬ女は、自分の才を頼みとするしかございませぬ。大臣様のお心にかなうよう精一杯励みます」と答えます。

まひろは夜遅く執筆を続けた後、女房の扉で床に就きますが、そこには、大きないびきをかく者がいたため、よく寝つけません。
そのため翌朝まひろは寝坊します。女房たちは早くから起きて、それぞれの仕事を始めていました。寝起きが悪かったことを赤染衛門に注意を受けたまひろは、女房たちからも「誰ぞの足を揉みにいらしたのではないの?」と言われます。
「足を揉みにいく」とは夜伽に召されることです。

 

その日は行事があり、皆大忙し。まひろは慣れないながらも手伝い、夜は疲れ果てて、もう物語は書けません。このように宮中での慣れない暮らしで、思うように筆は進みません。

(帰らせて頂きます)
このような日が続いたため、まひろは道長に実家に戻って執筆したいと文を出しました。道長はまひろを呼び出し「帝は、続きができたらお前に会いたいと仰せだ。お気持ちが変わらぬ前に続きが欲しい。お前の才能で帝を藤壺に引き寄せてくれ、頼む。」と懇願します。

道長は、一条天皇の心が藤原伊周に傾いていることを危惧していました。伊周の復位は敦康親王の後見を見据えてのことと思われ、もし彰子が皇子を産まなければ、この伊周が次に権力を握る可能性が考えられました。それは避けたいのです。

まひろが道長に「私が書くものに、まことにそのような力があるのでございましょうか」と尋ねると、道長は「分からぬ。されど今の俺にはそれしかない。賭けなのだ」とこたえます。

まひろは、以前に一条天皇に献上した原稿に手を入れ、続きも書き足していた。さらにその先の展開も構想していました。そこで道長に、必ず実家で続きを書いて届けに来ると約束しました。
(彰子と2人)
藤壺を去る前に、まひろは彰子に挨拶に行きました。その時、ちょうど周りに女房はおらず、まひろと彰子は二人だけです。
ここで彰子は、まひろに「私は冬が好き」と言います。
まひろは、彰子が自分の意志を示すのを初めて目にしました。さらに、彰子は桃色の着物を着ていました。女房たちは、彰子は桃色が好きだと言っていたが、実は空のような青色が好きなのだと言います。

まひろと彰子の2人の会話・・長く話すことはできませんでした。しかし、その去り際に彰子は、何か物言いたげにまひろのほうを見つめました。
(帰宅)
こうしてまひろは藤壺に行くときに家族に送られて、わずか八日で戻ってきました。あまりにも早くもどってきたので、みなびっくりです。弟の藤原惟規は姉のことを心配します。

 (除目)
翌年の1月。除目です。この除目で、道長は、武力を使う争いの多い平維衡(これひら)を伊勢守にすることに異を唱え、その官位は空欄としました。

藤原実資は帝の言葉に流されない道長を評価しますが、伊周の弟・藤原隆家は帝は武力を必要としているのでは、と口にします。

しかし、いつのまにか官位には右大臣の推挙した平維衡の名が記されていました。
これを知った道長はすぐに交代させるよう帝に伝えます。
武力で争うようにしてはならないと正論を解く道長の言い分を、帝はしぶしぶ認めました。
(奥ゆかしいだけ)
実家に戻るとまひろは、すぐに執筆に取りかかります。弟の藤原惟規は「中宮様ってうつけなの?みんな言ってるよ」と聞きますが、「奥ゆかしいだけ!ご意思はしっかりおありになるわ」と答えます。
(「光る君」でございます)
1006年(寛弘三年)五月、まひろは書き進めた物語を持って藤壺を訪れました。
そこで、まずは彰子に挨拶に行きました。彰子は「帝がお読みになるものを私も読みたい」と興味を示します。そこで、まひろは手短に話の流れを聞かせます。

それは・・・・ある天皇の御代、深い寵愛を受けた更衣が皇子を産んだ。皇子が三歳のとき、更衣はほかの女御たちの嫌がらせで病み亡くなる。天皇は忘れ形見の皇子を宮中に呼び寄せた。美しく賢く、笛の名手であるその皇子が、物語の主人公です。・・・と。

彰子が「帝みたい。その皇子の名は?」と問うと、まひろが「光る君でございます」と答えます。そうです。この大河ドラマのタイトルですね。

(皆に読ませたい)
まひろは道長を介して物語の続きを一条天皇に献上しました。
すると、一条天皇はまひろに会いに藤壺に来ました。彰子と道長が同席し、まひろは一条天皇との再会を果たしました。

一条天皇は、かつて政にも物おじせず意見を述べた彼女のことをよく覚えており、その物語に初めは「朕(ちん)を難じておると思い腹が立った」と言いつつも、次第に心に染み入ってきたと言います。
そして、「心を捉えられたが、それはなぜなのだろうか」とまひろに尋ねました。
まひろは、かな文字で書かれた物語だからだろうと答えます。漢文は事の理や志を表すが、心を伝えるにはかなが用いられるという考えを持ち、「やまとびとの心を映すには、かなこそがふさわしいのだと考えます」と言います。

それを聞いた一条天皇は「朕のみが読むには惜しい。皆に読ませたい」と話します。
ここで、まひろは「物語は女子どもだけのものではございませぬ」「中宮さまにもお読みいただけたら、これ以上なき誉(ほまれ)にございます」と返した彰子と視線を交わし微笑みます。
まひろが書く物語が道長の思惑どおり一条天皇の心に響き、さらには殻に閉じこもっていると思われた彰子をも解きほぐしていくようでした。


まひろは、“奥ゆかしすぎる”と女房らに評されるほど無口な彰子が、実は胸の内にさまざまな思いを持っているのではと感じます。

(扇)
後日、まひろは、局を訪ねて来た道長にもそんな印象を話します。
それを聞いた道長は「褒美だ」と言って扇子を贈ります。
その扇子を開くと・・・まひろと道長が初めて出会った時の出来事が描かれていました。
それは・・・幼いころの、まひろと道長と思われる男女の子供と、小鳥が描かれていました。これは道長とまひろのお互いが幼い頃の大事な思い出の一シーンでした。
なんとニクイ演出!
幼い頃の大切な思い出を扇にして贈るという道長のこのセンス!!
このやり取りにノックアウトされたまひろは、この扇子を抱きしめてしみじみと感じるのでした。やるなああ~

(和尚)
7月。
土御門邸には興福寺別当・定澄(じょうちょう)が訪ねてきました。
定澄は道長 に「興福寺の僧兵3000人が小幡山に集まっている。自分たちの訴えを聞き入れるべきだ。それが成らねば、この屋敷を取り囲み、焼き払いたてまつります」と脅します。
一方の道長は、ひるむことなく定澄に「やれるものならやってみよ」と言います。
これは何かが起きますね・・・・・さあ、これからどう展開するのでしょうか。次回に続きます。