日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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真田幸村終焉の地・安居神社(安居天満宮)~真田幸村の魂が宿る聖地で最期を偲ぶ~

大阪市天王寺区にある安居神社は、真田信繁終焉の地で
境内には真田幸村銅像や碑が建っています。

真田幸村終焉の地:安居神社

大阪市天王寺区にある安居神社

1615年(慶長20年)旧暦5月7日、ここで、真田幸村が最後を遂げたと言われています。享年49。

大坂夏の陣

大坂冬の陣で豊臣方は、徳川が出した和睦案を受け入れます。その結果、大坂城の堀は埋められ、真田丸は壊されてしまいました。

大坂冬の陣の数か月後、夏の陣が始まります。徳川方に埋め立てられ、堀を失った大坂方には勝ち目はありません。ただ1つ、敵の総大将の徳川家康の首を獲るしかありませんでした。
そして、この辺りにある茶臼山に真田勢の陣が敷かれます。
(家康を追い詰めるも・・・)
孤軍奮闘する幸村は、家康本陣に突撃し、徳川軍を追い詰め、あと一歩で家康の首をとるところまで追い詰めます。しかし、ここまで・・・。多勢に無勢・・・。数でかなわず押し返されます。そして幸村は、ここ安居神社で休息をとります。

(この首を手柄にされよ)
幸村が境内で木にもたれかかり、身体を休ませていたところを、敵方の越前松平兵の西尾宗次に発見されます。
すると幸村は、「この首を手柄にされよ」という最後の言葉を残して、討ち取られたといいます。享年49。
境内には、そのもたれかかっていた松の木・さなだ松があります。(石碑の後ろにある木です。2代目とのことです)

真田幸村終焉の地は、実に静かな場所)
実際に安居神社を訪れると静かな場所なんです。実に静かなんです。圧倒的な不利な状況で負けるとわかっていながら、戦った真田幸村。家康を追い詰めながら、あと一歩及ばなかった幸村。どうしようもない状況でいた幸村は、どんな思いでこの安居神社にたたずんでいたのでしょうか・・。

<<安居神社への行き方>>

地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅」より徒歩6分
住所:大阪府大阪市天王寺区逢阪1-3-24 

真田幸村の魂が宿る終焉の地、

真田ファンなら是非足を運んで下さい。