糸満市にある平和祈念公園の片隅には
沖縄戦で防衛を担った日本陸軍守備隊第32軍が
最期を迎えた司令部壕が残っています。
(第32軍司令部終焉の地)
現在、糸満市の平和記念公園にある黎明の塔。その脇にある海岸へと降りる階段を下りて行くと左側に壕があります。
ここが沖縄守備隊が最期を迎えた場所で、「第32軍司令部終焉の地」と呼ばれています。
このように壕の入り口が閉ざされていて中に入ることができません。
壕の横にある碑には、第32軍司令部終焉の地と刻まれています。
(第32軍司令部)
第32軍は、1944年(昭和18年)3月22日、沖縄方面防衛のために創設され、翌年の1945年(昭和20年)3月23日に首里城の下に司令部をおきます。
下の写真は4月に撮影された作戦会議を行う第32軍司令部の様子です。
戦況の悪化で米軍に追い詰められ1945年(昭和20年)5月27日に首里司令部を、撤退します。
そして、島の南端にある摩文仁を最期の拠点としました。
しかし戦況は絶望的になり、6月23日、司令官である牛島満中将や参謀長の長勇中将などが自決し、残る部隊も玉砕し、日本軍の組織的な抵抗が終わりました。
この壕で6月23日に、第32軍司令部司令官である牛島満中将や参謀長の長勇中将などが自決しました。
沖縄県では日本軍の組織的抵抗が終了した6月23日を「慰霊の日」としています。
<<第32軍司令部終焉の地への行き方>>
車で行きましょう、駐車場があります
沖縄戦の組織的な戦闘の終了となった自決の地。
様々な思いが去来しました。