2021年(令和3年)大型連休のある日、おっさんは、京都の京都御所に足を
運びました。
しかし!!!しかし!!
コロナのため京都御所が閉鎖されていました!!
中に入れません!!
残念!!
(500年以上の内裏・京都御所)
東京に皇居が遷るまでは、京都には、長らく天皇が住む皇居がありました。
それが京都御所です。
794年に平安京に遷都され、以来、明治維新後の東京遷都まで、天皇の住居=内裏
(だいり)は京都御所でした。
現在の京都御所は京都府京都市上京区にあります。鎌倉時代末期の1331年から明治初期の1869年(明治2年)までの間、途中分断が何度もあったものの500年以上この地に天皇が居住し儀式・公務を執り行いました。
現在は宮内庁京都事務所が管理しています。
京都御所は東西約250m、南北約450mの築地塀と清流の溝に囲まれた広い域内の建物で、現在のものは江戸末期の1855年に再建しています。
御所は清所門から入退出できます。
歴代天皇が即位した紫宸殿や皇后宮常御殿などがあり、小御所前には大きな池を配した優雅な庭園があります。
一般の人でも入場無料で見学ができるはずでした。
しかし、2021年(令和3年)は新型コロナの影響で4月25日(日)から公開を中止しています。
【京都御苑2つの門】
京都御苑は東西約700メートル・南北1300メートル、総面積は92へクタールと広大です。
このうち御所を除いた65ヘクタールの敷地が「国民公園」として開放されています。
京都御苑内には、9ヶ所の御門と6ヶ所の切り通しがあります。
京都御苑には幕末史に重要な2つの門があります。
(堺町御門:八月十八日の政変)
まずは、堺町御門。
1863年、朝廷内の公明天皇や公武合体派の中川宮朝彦親王が、会津藩や薩摩藩と協力し、尊王攘夷派の公卿・三条実美など7人と長州藩を京都の御所から追放する政変を
行います。(八月十八日の政変)
そのとき、京都御所の堺町御門に警備担当の長州藩が集まりますが、この門が会津藩、薩摩藩の兵士で固められてしまい中に入ることができずに戦いに敗れます。
1864年6月5日、新撰組による池田屋事件で尊王攘夷派の志士を失った長州藩は、
1864年に禁門の変を起こします。禁門の変=蛤御門の変です。
八月十八日の変で京都から追放されていた長州藩が会津藩主で京都守護職の松平容保
などの排除を目指して挙兵し、 京都 に 進軍 し、 御所 の 蛤御門 周辺 で、 会津藩兵・ 薩摩藩兵を中心とした幕府軍 と 武力衝突 を 起こします。
しかし戦いにやぶれ、その後、長州藩は「朝敵」となり江戸幕府から長州征伐を受けます。
蛤御門(はまぐりごもん)。正式名称は「新在家御門(しんざいけごもん)」。
御所の火災の時に、滅多に開くことがなかったこの門が開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門」という俗称が付けられたと言われます。
(写真で見る昔の京都御所)
1910年(明治33年)に発行された「日本之名称」に掲載された京都御所の入り口「清所門」。
(国立国会図書館ウェブサイトより)
2021年(令和3年)4月下旬に撮影された京都御所の「清所門」
(おっさん撮影)
【京都御所公式HP】
<<京都御所>>
(営業時間)
9月及び3月 9:00~16:30(入場は15:50まで)
10月~2月 9:00~16:00(入場は15:20まで)
4月~8月 9:00~17:00(入場は16:20まで)
連絡先:075-211-1215(宮内庁京都事務所参観係)
<<京都御所への行き方>>
地下鉄「今出川」駅下車、徒歩約5分
市バス「烏丸今出川」下車、徒歩約5分
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。
地図上のルートを押すと道案内をしてくれます】
京都御所、コロナが鎮まったら見学に行きますよ!!