プロレスの神様・カールゴッチのお墓に行ってきました。
カールゴッチ・・・プロレスをかじった人には、なじみがある名前だと思います。
彼のお墓があるのは、東京都荒川区にあるJR南千住駅から徒歩2分ほどの小塚原回向院(えこういん)です。
しかし、日本語で「カールゴッチ」と書かれているのは何か違和感がありますね。。
(プロレスの神様・カールゴッチ)
1980年半ば、すなわち昭和50年後半頃から、日本ではプロレスブームが起きました。
TV朝日が毎週金曜日の8時に放送していた「ワールドプロレスリング」は毎回視聴率が20%を超え、プロレスの試合結果が、スポーツ紙の1面に載ることも多くありました。
当時は、アントニオ猪木が率いる新日本プロレスとジャイアント馬場が率いる全日本プロレス、そして全日本女子プロレスの3団体だけでした。
(ラッシャー木村がいた国際プロレスは1981年(昭和56年)9月に倒産しました)
一番勢いがあったのが、ストロングスタイルを標榜していた新日本プロレスで、その強さの象徴だったのが、トレーナーでありブッカーでもあったカールゴッチです。
カールゴッチは、アマレス出身で、1948年のロンドンオリンピックで、ベルギー代表としてグレコローマンとフリースタイルレスリングに出場しています。
カールゴッチは、選手時代には、関節技の使い手で「強すぎることから戦う相手が敬遠した」、「強さの身を追求するので興行主から冷遇された」、あるいは「挑戦を避けて逃げるチャンピオンに対し控室で制裁のリンチを加えた」、、などのエピソードがあります。
関節技の使い手であると同時にプロレス技「ジャーマンスープレックス」の開発者でもあります。
(日本にお墓が・・)
カールゴッチは2007年(平成19年)に82歳で亡くなります。
遺骨の大部分は本人の意思で海に散骨されたそうですが、弟子の一人が残りの遺骨を日本に持ち帰り、南千住の小塚原回向院(えこういん)に墓を作ったそうです。
ちなみに小塚原回向院には、吉田松陰を始めとする幕末の志士、ねずみ小僧の墓があり、さらに幕末に「解体新書」を作るきっかけとなった地なのです。
【吉田松陰のお墓について書いたブログ】
【解体新書について書いたブログ】
カール・ゴッチ氏のお墓には
「技術と精神は常に一緒だ。決して嘘をつくな、
決してごまかすな、決して諦めるな」と
刻まれています。
これは、我々が生きていくうえでも教えとなる言葉でですね。
プロレスファンは是非、カールゴッチの墓参り足を運んでみてはいかがでしょうか。
【カールゴッチに関するお勧めの本とDVD】
<カールゴッチの墓 小塚原回向院への行き方>>
JR南千住駅徒歩3分程度
住所:京都荒川区南千住5丁目33−13